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信濃之人:赤松小三郎(日本語映像版)(1)。出典:信濃史談会編「信濃之人」求光閣書店、1914年、国立国会図書館インターネット公開作品 #赤松小三郎 #平和 #民主 #民主主義 #立憲主義 #憲政 #平和学習 #歴史 #明治維新 #幕末

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【以購代捐:特産品購入型国際支援】ミャンマーコーカン第一特区果敢熟茶方片茶中国雲南臨滄鎮康黒茶後発酵茶(6g×10枚×3包)0.18kg ミャンマーコーカン自治区で収穫された茶葉等を原料として、国境を挟んで向かい側の中国雲南省臨滄市鎮康県内の工場において、後発酵工程を経て生産された熟茶です。四角形の形状に平べったく緊圧された「方片茶」であり、通常は6g×10枚×3包の状態で紙製のパッケージの中に入っています。業者さんの在庫状況次第ですが、携帯するにも便利なように、1枚ずつ個包装された散売りタイプもございますので、ご希望があれば、できるだけ応えられるように手配いたします。 ミャンマー北部コーカン自治区内の山奥には原生林地域が広がっており、化学肥料や農薬は使用されておりません。嘗て、コーカン自治区では、日本の外務省所管の独立行政法人国際協力機構(JICA)によって、茶葉やクルミ等の生産に関する国際支援がなされた時期があったようですが、その後、断続的かつ長期にわたって戦闘が続いたりしたため、撤退されたのでしょう。 熟茶とは、特殊な製茶技法で茶葉を初期加工した後、さらに、有益菌を利用した微生物発酵工程を経て完成する後発酵茶であり、人工的に発酵が促進されることにより、マイルドな味わいに仕上がります。賞味期限は、特にございません。日本の四国山地黒茶や富山県のバタバタ茶も同じく後発酵茶に該当します。四国地方には、1990年代に伝承が失われる危機に直面した産地もあり、その後、一部の民間団体や公立高校の生徒が伝統的黒茶発酵技術の継承に取り組んできたという実績があり、また、その中には、障がい者再就職支援を本来業務とされている団体が複数あるようです。一方、ミャンマーでは世界最長の内戦と民選政府がクーデターで倒されたことに対する春の革命が続いており、地雷や空襲、戦闘等により、障がいを抱えた人々が増加していて、2024年6月に、茶業者さんから伺った話では、2023年10月の1027作戦開始以降に、コーカン自治区内で地雷を踏んで、向かい側の雲南省臨滄市鎮康県南傘鎮内の病院に運び込まれた被害者の数は20人に達するとのことでした。また、人口大国である中国には、障がい者が大勢いらっしゃいます。今後、機会があれば、二国間や多国間での黒茶発酵技術関連や障がい者再就職関連、水掛け祭り等の国際交流も推進いたします。2025年春に雲南省内の現地当局に問い合わせたところ、雲南省内で実施する場合、中国側の受入団体が申請すれば、通常は許可されるとのことでした。日本国内で伝統的黒茶発酵技術が今なお伝承されている四国地方ならびに富山県のほか、嘗て生産されていたものの、既に失われてしまったという福井県や中国地方等を含めて、町興しのためにも、いかがでしょうか?特に、恵まれた環境にある水都・愛媛県西条市や酒都・広島県東広島市西条町の皆さん、いかがですか?ご希望があれば、ぜひ、弊社までご連絡ください。 さて、区都ラウカイを含むコーカン自治区全域(ミャンマー連邦第一特区)は、2023年10月開始の1027作戦第一弾期間中にミャンマー民族民主同盟軍(MNDAA)によって奪還され、オンライン詐欺勢力は、コーカン自治区からは一掃されたのでしょう。停戦期間を挟んで、第二弾期間中にシャン州北部の要衝ラショー等も攻略後、ネピドーの軍政府による度重なる空爆を受け、2025年1月、北京の仲介により、停戦協定が再び締結されました。それに伴い、空爆が止むとともに、国境を跨ぐ電力供給・物資搬送・ネット環境・人的往来等が正常化されていき、2025年4月には、停戦協定にもとづいて、MNDAAがラショーの市街地に配置していた兵員を郊外地域へと退かせました。その結果として、コーカン自治区内のコーカン族やミャンマー華人を含む少数民族系の住民にとっては、ミャンマー身分証やミャンマーパスポートの取得が以前よりも容易になったというような目に見える実利があったようです。これらは本来、基本的な権利ではありますが、長い闘争を経て、漸く勝ち取ったということなのでしょう。 こうした背景の下、地元住民が安心して働き、暮らせるように、また、国際援助に頼り切ったりせずに、自立的な好循環環境を維持できるよう、そして何より、ケシ栽培等に手を染めたりすることのないように、換金性のある現地特産品である茶葉等を購入してあげるという特産品購入型のミャンマー・アジア民生支援の新ルートを日本の皆様にご提供させていただきます。 ちなみに、中国語では、購入型支援を「以購代捐」という四文字にて大変簡潔に表現できます。SDGsやCSRのような表音文字表記とは異なり、漢字で表記すると、一目見ただけで意味が分かります。「捐」という漢字は義捐金(義援金)の「捐」であり、救済のために寄付するという意味です。購入を以って寄付に代えることで、寄付に比べて、相応のモノが得られるという点で大変お得であるとともに、一過性のものに終わらず、持続性のある好循環発展を促します。ぜひ、お買い求めください。 なお、現在、コーカン自治区の茶産業は大変な困難に直面しているとのことであり、その苦境については、現地情報を配信している「果敢通讯社」が2025年5月4日付けで、「果敢资讯网」は2025年5月5日に伝えておりますので、ぜひ、ご確認ください。 「果敢大水塘茶叶交易市场现状| 销售难、价格低,市场困境待破局」https://kokang123.blogspot.com/2025/05/blog-post_4.html 「果敢大水塘茶叶交易市场现状| 销售难、价格低,市场困境待破局」https://youtu.be/YBpvL-B5VJY?si=FWFBYD5BRNk31FSn 目線をさらに隣のシャン州第七特区パラウン自治区に向けると、タアン民族解放軍(TNLA)が人民防衛隊(PDF)等との連携を継続しており、北京の仲介によるネピドーの軍政府との間の停戦交渉は合意に至らず、空爆や陸上での戦闘が続いているようです。パラウン自治区産の紅茶をヤンゴン方面ルートで扱っている日本のNGOがあるようですが、弊社としては、雲南省側から、爆弾が降り注いでくる可能性のある地域に茶葉の仕入れのために向かっていただける業者さんは、さすがになかなかいないですし、実務上も、国境地域住民に限定して発行される通行証では、奥地までは立ち入れなかったりするため、ミャンマー商務ビザを取得できる業者さんや、ミャンマー身分証の内、最上級のものを有する業者さんに限定されるとなると、現状として、難しい面があるでしょう。引き続き、情勢の変化に関心を持ち続けるとともに、国境を挟んでミャンマー側で暮らしているミャンマーのパラウン族にとっては同族にあたる中国の徳昂族が生産した茶葉は、弊社も扱っていますので、ぜひ、お買い求めください。徳昂族酸茶も日本の四国山地黒茶等と同じ後発酵茶に該当します。 https://peaceculture.center/surl/P/143 https://peaceculture.center/surl/P/16 世界的に見て、中国の南部からミャンマー北部、そしてインドアッサム地方まで茶の産地が広がっていますが、その中でもパラウン自治区はコーカン自治区や雲南省等と並んで、茶の発祥エリアであるとともに、良質の茶葉を産するコアエリアです。また、茶であれば、社会階層の面から見ても、政治家や官僚から民間人に至るまで、経済的恩恵が受けられる範囲は比較的幅広く、偏りが比較的少ないと言えるでしょう。特に、ミャンマーパラウン族ならびに中国徳昂族は古来より、茶との関係が大変深い民族であるため、茶を介した支援は、喜んでいただけるものと信じています。 ともあれ、弊社が現時点でB2Cの対日越境販売の形で扱っている商品は、業者さんが中国国内の倉庫で在庫として保有されているものばかりですので、中緬間の国境検問所の開閉状況には、それほど影響を受けません。ご注文いただくと、弊社の事務所を経由せずに、各業者さんから中国沿海地域の提携物流業者さんの倉庫に直接運ばれた後、日本向けに発送されます。 ちなみに、日本国内には「国産プーアル茶」と命名されたものが流通していたりするようですが、「プーアル茶」という固有名詞は、中国大陸において、地理的表示の保護対象となっているため、念のため、単に「熟茶」(黒茶)として、ご紹介させていただいております。なお、本商品の原産地表記については、通常、中国になると思われます。ご了承ください。 #ミャンマー #第一特区 #コーカン #熟茶 #黒茶 #中国 #雲南 #臨滄 #鎮康 #後発酵茶 #ミャンマー茶 #コーカン茶 #果敢茶 #中国茶 #雲南茶 #シャン州 #プーアル茶 https://peaceculture.center/surl/P/101
【以購代捐:特産品購入型国際支援】ミャンマーコーカン第一特区果敢熟茶方片茶中国雲南臨滄鎮康黒茶後発酵茶(6g×10枚×3包)0.18kg ミャンマーコーカン自治区で収穫された茶葉等を原料として、国境を挟んで向かい側の中国雲南省臨滄市鎮康県内の工場において、後発酵工程を経て生産された熟茶です。四角形の形状に平べったく緊圧された「方片茶」であり、通常は6g×10枚×3包の状態で紙製のパッケージの中に入っています。業者さんの在庫状況次第ですが、携帯するにも便利なように、1枚ずつ個包装された散売りタイプもございますので、ご希望があれば、できるだけ応えられるように手配いたします。 ミャンマー北部コーカン自治区内の山奥には原生林地域が広がっており、化学肥料や農薬は使用されておりません。嘗て、コーカン自治区では、日本の外務省所管の独立行政法人国際協力機構(JICA)によって、茶葉やクルミ等の生産に関する国際支援がなされた時期があったようですが、その後、断続的かつ長期にわたって戦闘が続いたりしたため、撤退されたのでしょう。 熟茶とは、特殊な製茶技法で茶葉を初期加工した後、さらに、有益菌を利用した微生物発酵工程を経て完成する後発酵茶であり、人工的に発酵が促進されることにより、マイルドな味わいに仕上がります。賞味期限は、特にございません。日本の四国山地黒茶や富山県のバタバタ茶も同じく後発酵茶に該当します。四国地方には、1990年代に伝承が失われる危機に直面した産地もあり、その後、一部の民間団体や公立高校の生徒が伝統的黒茶発酵技術の継承に取り組んできたという実績があり、また、その中には、障がい者再就職支援を本来業務とされている団体が複数あるようです。一方、ミャンマーでは世界最長の内戦と民選政府がクーデターで倒されたことに対する春の革命が続いており、地雷や空襲、戦闘等により、障がいを抱えた人々が増加していて、2024年6月に、茶業者さんから伺った話では、2023年10月の1027作戦開始以降に、コーカン自治区内で地雷を踏んで、向かい側の雲南省臨滄市鎮康県南傘鎮内の病院に運び込まれた被害者の数は20人に達するとのことでした。また、人口大国である中国には、障がい者が大勢いらっしゃいます。今後、機会があれば、二国間や多国間での黒茶発酵技術関連や障がい者再就職関連、水掛け祭り等の国際交流も推進いたします。2025年春に雲南省内の現地当局に問い合わせたところ、雲南省内で実施する場合、中国側の受入団体が申請すれば、通常は許可されるとのことでした。日本国内で伝統的黒茶発酵技術が今なお伝承されている四国地方ならびに富山県のほか、嘗て生産されていたものの、既に失われてしまったという福井県や中国地方等を含めて、町興しのためにも、いかがでしょうか?特に、恵まれた環境にある水都・愛媛県西条市や酒都・広島県東広島市西条町の皆さん、いかがですか?ご希望があれば、ぜひ、弊社までご連絡ください。 さて、区都ラウカイを含むコーカン自治区全域(ミャンマー連邦第一特区)は、2023年10月開始の1027作戦第一弾期間中にミャンマー民族民主同盟軍(MNDAA)によって奪還され、オンライン詐欺勢力は、コーカン自治区からは一掃されたのでしょう。停戦期間を挟んで、第二弾期間中にシャン州北部の要衝ラショー等も攻略後、ネピドーの軍政府による度重なる空爆を受け、2025年1月、北京の仲介により、停戦協定が再び締結されました。それに伴い、空爆が止むとともに、国境を跨ぐ電力供給・物資搬送・ネット環境・人的往来等が正常化されていき、2025年4月には、停戦協定にもとづいて、MNDAAがラショーの市街地に配置していた兵員を郊外地域へと退かせました。その結果として、コーカン自治区内のコーカン族やミャンマー華人を含む少数民族系の住民にとっては、ミャンマー身分証やミャンマーパスポートの取得が以前よりも容易になったというような目に見える実利があったようです。これらは本来、基本的な権利ではありますが、長い闘争を経て、漸く勝ち取ったということなのでしょう。 こうした背景の下、地元住民が安心して働き、暮らせるように、また、国際援助に頼り切ったりせずに、自立的な好循環環境を維持できるよう、そして何より、ケシ栽培等に手を染めたりすることのないように、換金性のある現地特産品である茶葉等を購入してあげるという特産品購入型のミャンマー・アジア民生支援の新ルートを日本の皆様にご提供させていただきます。 ちなみに、中国語では、購入型支援を「以購代捐」という四文字にて大変簡潔に表現できます。SDGsやCSRのような表音文字表記とは異なり、漢字で表記すると、一目見ただけで意味が分かります。「捐」という漢字は義捐金(義援金)の「捐」であり、救済のために寄付するという意味です。購入を以って寄付に代えることで、寄付に比べて、相応のモノが得られるという点で大変お得であるとともに、一過性のものに終わらず、持続性のある好循環発展を促します。ぜひ、お買い求めください。 なお、現在、コーカン自治区の茶産業は大変な困難に直面しているとのことであり、その苦境については、現地情報を配信している「果敢通讯社」が2025年5月4日付けで、「果敢资讯网」は2025年5月5日に伝えておりますので、ぜひ、ご確認ください。 「果敢大水塘茶叶交易市场现状| 销售难、价格低,市场困境待破局」https://kokang123.blogspot.com/2025/05/blog-post_4.html 「果敢大水塘茶叶交易市场现状| 销售难、价格低,市场困境待破局」https://youtu.be/YBpvL-B5VJY?si=FWFBYD5BRNk31FSn 目線をさらに隣のシャン州第七特区パラウン自治区に向けると、タアン民族解放軍(TNLA)が人民防衛隊(PDF)等との連携を継続しており、北京の仲介によるネピドーの軍政府との間の停戦交渉は合意に至らず、空爆や陸上での戦闘が続いているようです。パラウン自治区産の紅茶をヤンゴン方面ルートで扱っている日本のNGOがあるようですが、弊社としては、雲南省側から、爆弾が降り注いでくる可能性のある地域に茶葉の仕入れのために向かっていただける業者さんは、さすがになかなかいないですし、実務上も、国境地域住民に限定して発行される通行証では、奥地までは立ち入れなかったりするため、ミャンマー商務ビザを取得できる業者さんや、ミャンマー身分証の内、最上級のものを有する業者さんに限定されるとなると、現状として、難しい面があるでしょう。引き続き、情勢の変化に関心を持ち続けるとともに、国境を挟んでミャンマー側で暮らしているミャンマーのパラウン族にとっては同族にあたる中国の徳昂族が生産した茶葉は、弊社も扱っていますので、ぜひ、お買い求めください。徳昂族酸茶も日本の四国山地黒茶等と同じ後発酵茶に該当します。 https://peaceculture.center/surl/P/143 https://peaceculture.center/surl/P/16 世界的に見て、中国の南部からミャンマー北部、そしてインドアッサム地方まで茶の産地が広がっていますが、その中でもパラウン自治区はコーカン自治区や雲南省等と並んで、茶の発祥エリアであるとともに、良質の茶葉を産するコアエリアです。また、茶であれば、社会階層の面から見ても、政治家や官僚から民間人に至るまで、経済的恩恵が受けられる範囲は比較的幅広く、偏りが比較的少ないと言えるでしょう。特に、ミャンマーパラウン族ならびに中国徳昂族は古来より、茶との関係が大変深い民族であるため、茶を介した支援は、喜んでいただけるものと信じています。 ともあれ、弊社が現時点でB2Cの対日越境販売の形で扱っている商品は、業者さんが中国国内の倉庫で在庫として保有されているものばかりですので、中緬間の国境検問所の開閉状況には、それほど影響を受けません。ご注文いただくと、弊社の事務所を経由せずに、各業者さんから中国沿海地域の提携物流業者さんの倉庫に直接運ばれた後、日本向けに発送されます。 ちなみに、日本国内には「国産プーアル茶」と命名されたものが流通していたりするようですが、「プーアル茶」という固有名詞は、中国大陸において、地理的表示の保護対象となっているため、念のため、単に「熟茶」(黒茶)として、ご紹介させていただいております。なお、本商品の原産地表記については、通常、中国になると思われます。ご了承ください。 #ミャンマー #第一特区 #コーカン #熟茶 #黒茶 #中国 #雲南 #臨滄 #鎮康 #後発酵茶 #ミャンマー茶 #コーカン茶 #果敢茶 #中国茶 #雲南茶 #シャン州 #プーアル茶 https://peaceculture.center/surl/P/101
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·5-30
ミャンマーコーカン王果敢王生茶餅茶MNDAA創設者故彭家声プリントサインありレア物0.2kg 区都ラウカイを含むコーカン自治区全域(ミャンマー連邦第一特区)は、2023年10月開始の1027作戦第一弾期間中にミャンマー民族民主同盟軍(MNDAA)によって奪還され、四大家族のようなオンライン詐欺勢力の大部分は一掃されたのでしょう。その後、第二弾期間中にラシオ等も攻略された後、度重なる空爆を受けたりしていましたが、2025年1月、中国政府の仲裁によって、停戦合意が再び締結されました。それに伴い、停止または一部制限されていた電力供給・人の往来・物資搬送・ネット環境等は徐々に再開されてきたようです。この時期に大切なのは、地元住民が安心して働き、暮らせるように好循環となる環境を構築・維持することでしょう。ケシ栽培等に手を染めたりすることのないように、茶葉等の特産物を買ってあげることを通じて、支援が可能であると私は考えます。本商品は、ミャンマーコーカン自治区で生産された餅茶状の生茶(緑茶)です。1989年にビルマ共産党を割って出て、少数民族地方武装組織の一つであるミャンマー民族民主同盟軍(MNDAA)を創設した故彭家声氏については、様々な評価があろうかとは思いますが、その起伏に富む人生の中で、違法薬物を撲滅するための代替作物として、茶葉等の栽培を奨励したことは、大きな功績だと言えるでしょう。本商品の外箱と包装紙上には、茶葉栽培の推進、違法薬物の禁止、生活の改善を主旨とする一文に続いて、故彭家声氏のサインがプリントされています。そして、「コーカン王(果敢王)」という商品名に相応しい古樹から採取された良質の茶葉が使用されています。「コーカン王(果敢王)」という名称を単純に冠した商品は少なくありませんが、そうした民生政策に触れながら、創意工夫を凝らした商品は、他では見掛けないです。こちらの業者さんは、コーカン自治区内の拠点を閉鎖して、現在は雲南省内で経営されていらっしゃり、本商品は貴重なレア物だと言えるでしょう。現地で茶栽培に従事する人々の暮らしを支えることに繋がると思われますので、ぜひ、お買い求めください。弊社が現在扱っている商品は、すでに中国国内に在庫があるものばかりですので、中緬国境ゲートの開閉状況にはあまり影響されません。ご注文いただくと、弊社の事務所を経由せずに、茶業者さんから沿海地域の提携物流業者さんの倉庫に直接運ばれた後、日本向けに発送されます。なお、賞味期限は、特にございません。新鮮なものが好まれる一般的な緑茶とは異なり、年月を経て、熟成するほど風味がよくなると言われており、価値が上昇したりします。ちなみに、 「プーアル茶」という固有名詞は、中国大陸において、地理的表示の保護対象となっているため、念のため、単に「生茶」(緑茶)として、ご紹介させていただいております。2024年2月1日より施行の中国「地理的表示製品保護弁法」(国家知的財産局令第80号、2023年12月29日、https://www.gov.cn/gongbao/2024/issue_11226/202403/content_6940042.html)第2条を厳格に適用すれば、すでに国境が確定してミャンマー領となっている旧雲南省内のコーカン地域で現地の茶葉を主として使用して生産された商品を「プーアル茶」と銘打つと矛盾してしまう側面がなくもないということです。本商品の現在の在庫は、日本の省令に相当するこちらの「部門規章」の施行前に生産されており、すでに中国国内に搬入され、輸入の際にも問題がなく、しかも、コーカン地域は1897年に清朝より英領インドに割譲されたという歴史的経緯等の要素を考慮すれば、中国から日本に向けて郵送される際に中国の税関で問題とされることはまずないものと思われます。現在の在庫が売り切れとなった後、原産地表示等は変更となるかもしれません。お早めにお買い求めください。 #ミャンマー #第一特区 #コーカン #果敢 #ラウカイ #コーカン王 #果敢王 #茶 #餅茶 #緑茶 #生茶 #プーアル茶 #古樹茶 #ミャンマー茶 #コーカン茶 #緬甸茶 #果敢茶 #ミャンマー民族民主同盟軍 #MNDAA #彭家声 #レア物 #代替作物 #ミャンマー革命 #平和学 #国際支援 https://peaceculture.center/surl/P/112
ミャンマーコーカン王果敢王生茶餅茶MNDAA創設者故彭家声プリントサインありレア物0.2kg 区都ラウカイを含むコーカン自治区全域(ミャンマー連邦第一特区)は、2023年10月開始の1027作戦第一弾期間中にミャンマー民族民主同盟軍(MNDAA)によって奪還され、四大家族のようなオンライン詐欺勢力の大部分は一掃されたのでしょう。その後、第二弾期間中にラシオ等も攻略された後、度重なる空爆を受けたりしていましたが、2025年1月、中国政府の仲裁によって、停戦合意が再び締結されました。それに伴い、停止または一部制限されていた電力供給・人の往来・物資搬送・ネット環境等は徐々に再開されてきたようです。この時期に大切なのは、地元住民が安心して働き、暮らせるように好循環となる環境を構築・維持することでしょう。ケシ栽培等に手を染めたりすることのないように、茶葉等の特産物を買ってあげることを通じて、支援が可能であると私は考えます。本商品は、ミャンマーコーカン自治区で生産された餅茶状の生茶(緑茶)です。1989年にビルマ共産党を割って出て、少数民族地方武装組織の一つであるミャンマー民族民主同盟軍(MNDAA)を創設した故彭家声氏については、様々な評価があろうかとは思いますが、その起伏に富む人生の中で、違法薬物を撲滅するための代替作物として、茶葉等の栽培を奨励したことは、大きな功績だと言えるでしょう。本商品の外箱と包装紙上には、茶葉栽培の推進、違法薬物の禁止、生活の改善を主旨とする一文に続いて、故彭家声氏のサインがプリントされています。そして、「コーカン王(果敢王)」という商品名に相応しい古樹から採取された良質の茶葉が使用されています。「コーカン王(果敢王)」という名称を単純に冠した商品は少なくありませんが、そうした民生政策に触れながら、創意工夫を凝らした商品は、他では見掛けないです。こちらの業者さんは、コーカン自治区内の拠点を閉鎖して、現在は雲南省内で経営されていらっしゃり、本商品は貴重なレア物だと言えるでしょう。現地で茶栽培に従事する人々の暮らしを支えることに繋がると思われますので、ぜひ、お買い求めください。弊社が現在扱っている商品は、すでに中国国内に在庫があるものばかりですので、中緬国境ゲートの開閉状況にはあまり影響されません。ご注文いただくと、弊社の事務所を経由せずに、茶業者さんから沿海地域の提携物流業者さんの倉庫に直接運ばれた後、日本向けに発送されます。なお、賞味期限は、特にございません。新鮮なものが好まれる一般的な緑茶とは異なり、年月を経て、熟成するほど風味がよくなると言われており、価値が上昇したりします。ちなみに、 「プーアル茶」という固有名詞は、中国大陸において、地理的表示の保護対象となっているため、念のため、単に「生茶」(緑茶)として、ご紹介させていただいております。2024年2月1日より施行の中国「地理的表示製品保護弁法」(国家知的財産局令第80号、2023年12月29日、https://www.gov.cn/gongbao/2024/issue_11226/202403/content_6940042.html)第2条を厳格に適用すれば、すでに国境が確定してミャンマー領となっている旧雲南省内のコーカン地域で現地の茶葉を主として使用して生産された商品を「プーアル茶」と銘打つと矛盾してしまう側面がなくもないということです。本商品の現在の在庫は、日本の省令に相当するこちらの「部門規章」の施行前に生産されており、すでに中国国内に搬入され、輸入の際にも問題がなく、しかも、コーカン地域は1897年に清朝より英領インドに割譲されたという歴史的経緯等の要素を考慮すれば、中国から日本に向けて郵送される際に中国の税関で問題とされることはまずないものと思われます。現在の在庫が売り切れとなった後、原産地表示等は変更となるかもしれません。お早めにお買い求めください。 #ミャンマー #第一特区 #コーカン #果敢 #ラウカイ #コーカン王 #果敢王 #茶 #餅茶 #緑茶 #生茶 #プーアル茶 #古樹茶 #ミャンマー茶 #コーカン茶 #緬甸茶 #果敢茶 #ミャンマー民族民主同盟軍 #MNDAA #彭家声 #レア物 #代替作物 #ミャンマー革命 #平和学 #国際支援 https://peaceculture.center/surl/P/112
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中緬国境雲南瑞麗総仏寺・傣王宮から眺めたミャンマーシャン州ムセ(2023年11月19日)/從中緬邊境雲南瑞麗總佛寺・傣王宮眺望的緬甸撣邦木姐(2023年11月19日)/从中缅边境云南瑞丽总佛寺・傣王宫眺望的缅甸掸邦木姐(2023年11月19日)  中緬国境に位置する中国雲南省徳宏州瑞麗市の総仏寺・傣王宮広賀罕古城遺址(タイ族の明朝麓川王の宮殿跡地)には、ミャンマー1027作戦第一弾期間にあたる2023年11月と第二弾開始前の停戦期間にあたる2024年5月に、それぞれ2度、合計4度訪れ、向かい側に広がるミャンマーシャン州ムセの街並みを眺望してみました。最近、泰緬国境に位置するミャンマーカレン州ミャワディがオンライン詐欺拠点として有名になりましたが、中緬国境に位置するシャン州ムセにも少なからずオンライン詐欺拠点が存在するとのことであり、その様子を遠望してみるという狙いもありました。 一説によれば、ムセのオンライン詐欺拠点は多い時で百箇所を超えていたと言われており[1]、そこに見えているあれもこれも恐らく詐欺拠点らしいですが[2][3][4][5][6]、真偽の程は不明です。本動画の素材を撮影した2023年11月19日の前日にあたる2023年11月18日には、ムセ当局から中国側へオンライン詐欺犯の引き渡しが実施されましたが[7][8]、それはムセにある58箇所の詐欺拠点からであり[9]、ただ、幹部等は山中に隠れて逮捕を逃れたとも言われ[10]、翌2024年には、中緬両国共同でのオンライン詐欺犯の一斉逮捕が二度にわたってムセで実施されました[11][12]。 さて、本動画の内容について説明すると、瑞麗市の中心部から総仏寺・傣王宮へ歩いて向かう途中、重火器の発射音については、相当の間隔を空けて、たまに聞こえる程度であり、総仏寺・傣王宮に到着する頃には、その頻度はさらに下がっていたので、結局、その瞬間には間に合わず、録画できた動画はありませんでした。ただ、またまた付近で多くの雑音が発生していたのは一種の妨害なのかもしれませんが、ヘリコプターの飛行騒音や軽火器の射撃音をスマホは捉えていたようです。ムセの周辺地域には、ミャンマー民族民主同盟軍(MNDAA)等が迫っていたりしたからでしょう。しかし、ムセは、中緬国境最大の陸上貿易ゲートがあるという非常に高い重要性を具備しており、その後も包囲が継続されたまま、陥落はせず、2025年1月に、中国政府の仲裁により、MNDAAは、とりあえず再度の停戦ということになったようです。 ミャンマーの辺境地域は、ある意味、旧日本軍が放った第二次世界大戦の戦火の残り火が燃え続けてきたとも言え、1948年の独立直後から内戦が続いており、現在、世界で最も長く続いている内戦です。そのミャンマーで少数民族抹殺に対する抵抗を続けてきた少数民族武装組織の中でも歴史が長いカレン民族解放軍(KNLA)には、義勇兵・傭兵・教官として参加してきた日本人の歴史があり[13][14]、カレン州ミャワディの向かい側にあたるタイ王国ターク県メーソートには「自由戦士の碑」が建てられているとのことです[15]。また、中国国内版のショート動画投稿サイトを見ていると、ミャンマー現地の一般兵卒の報酬はせいぜい数百人民元/月であると言われているにも関わらず、少数民族軍に参加したいとコメントしているユーザーを時々見掛けます。中国のSNSは2022年から、IP所属地域の表示が義務付けられているので、ミャンマーのネットユーザーなのか、ミャンマー北部を含む雲南省系のネットユーザーなのか、あるいは中国内地や海外のユーザーなのかを一応判別できます[16]。ミャンマーの主要民族であるビルマ族も起源は現在の中国領内であると言われており、中緬両国に共通する少数民族には、コーカン族/漢族、ワ族、パラウン族/徳昂族、カチン族/景頗族、シャン族/タイ族、リス族、アカ族、苗族、瑶族等があって、国境を跨いで暮らしており、また、同情を寄せる海外華人も含め、不動産バブル崩壊後の閉塞感溢れる社会環境の下では、ミャンマーの少数民族軍、あるいは国民防衛隊(PDF)等に参加したいと考える人が出てくるのは、ある意味、当然のことかもしれません。ウクライナ軍またはロシア軍等に傭兵として参加すれば、相応の報酬が貰えるのでしょうが、敢えてミャンマー革命にタダみたいな金額や無報酬でも参加したいと考える地球市民もいるのであって、途上国で高給が貰えるという宣伝を簡単に信じてオンライン詐欺の被害に遭う人、さらには自ら志願して詐欺に加担する人ばかりではないことを気に留めておいていただければと思います。 補足:一度、画面の左下の方に小さく、飛行機の機体のような物体が山中にあるように見えるコマがありますが、それは機体を利用して作られた「飛行機食堂」というムセの新名所だろうと思われます。 参考資料 [1]乾いた世界/燥哥躁世界《“勇闯”缅甸(十七)木姐-鱼龙混杂的"园区庇护所" 仅仅一江之隔》2023年8月18日、 • “勇闯”缅甸(十七)木姐-鱼龙混杂的"园区庇护所" 仅仅一江之隔  [2]潘宏的朋友圈《海波拍木姐园区全景,园区很高的封闭着,海波直呼曝光园区位置》2023年5月11日、https://www.bilibili.com/video/BV1wX4... [3]四川爱心《木姐园区大佬》2024年3月10日、https://v.douyin.com/ifbPuFoB/ [4]爱心《反诈联盟》《求助:救救我的老公吧!木姐》2024年3月1日、https://v.douyin.com/ifbynQF5/ [5]VFA_TZ《黑公司曝光:木姐TOP园区、亚太图腾集团旗》2024年3月19日、https://www.bilibili.com/opus/9104168... [6]Googleマップ《木姐CBD诈骗园区》https://maps.app.goo.gl/9Sh2VNs9qDvcT... [7]人民网《公安部:缅北共向我方移交电信网络诈骗犯罪嫌疑人3.1万名》2023年11月21日、http://society.people.com.cn/n1/2023/... [8]VFA_TZ《木姐电诈园区开仓放人集体回国踩缝纫机》2023年11月19日、https://www.bilibili.com/video/BV1uj4... [9]东南亚反诈骗联盟《随着中缅四国联合执法力度加大,缅北木姐58个电诈园区,小部分释放被困在诈骗园区的中国人?》2023年11月19日、https://zhuanlan.zhihu.com/p/667660488 [10]东南亚啊文《爆料:木姐诈骗公司老板和主管逃往山上躲避抓捕?》2023年11月20日、https://www.toutiao.com/w/73035150429... [11]中国公安《中缅警方首次在缅北木姐地区开展联合打击行动:352名中国籍电信网络诈骗犯罪嫌疑人被移交我方》2024年4月1日、https://www.mps.gov.cn/n2253534/n2253... [12]中国公安《中缅警方在缅北木姐地区开展第二次联合打击行动:313名实施跨境电信网络诈骗的中国籍犯罪嫌疑人被移交我方》2024年9月30日、https://www.mps.gov.cn/n2253534/n2253... [13]カレン民族解放軍「ミャンマー内戦の実相 (2)」2024年2月14日、 • 【カレン民族解放軍】ミャンマー内戦の実相 (2)  [14]Bungeisichoo「「カレン民族解放軍のなかで」西山孝純著」2022/12/24、 • 「カレン民族解放軍のなかで」西山孝純著  [15]メーソートちゃんねる「【自由戦士之碑】カレン民族独立支援を志し少数民族の人間としての尊厳のために青春の情熱と命を捧げた日本人自由戦士ここに眠る」2021年7月17日、 • 【自由戦士之碑】「カレン民族独立支援を志し少数民族の人間としての尊厳のため...  [16]国家互联网信息办公室《互联网用户账号信息管理规定》(国家互联网信息办公室令第10号)2022年06月27日、https://www.gov.cn/zhengce/zhengceku/... #中国 #雲南 #徳宏 #瑞麗 #総仏寺 #傣王宮 #中緬国境 #ミャンマー #シャン州 #ムセ #平和学 #地球市民 #ミャンマー革命 #オンライン詐欺 #特殊詐欺  位於中緬邊境中國雲南省德宏州瑞麗市的總佛寺・傣王宮廣賀罕古城遺址(傣族明朝麓川王的王城遺址),我分別在緬甸1027行動第一期期間的2023年11月和第二期之前的停火期間的2024年5月各兩次共4次到訪,想從那裡眺望對面的緬甸撣邦木姐的城市街景。最近,泰緬邊境緬甸克倫邦苗瓦迪因跨境詐騙集團行動據點而廣為人知,但據說在中緬邊境撣邦木姐也有不少電信詐騙據點,因此我也有意從遠處觀察那一帶的狀況。 據說,木姐的電詐據點一度超過百處[1],並且有說法稱,從瑞麗看得到的那棟樓和這棟樓大致也是電詐據點[2][3][4][5][6],但其真實性無法確認。我拍攝本影片素材的時間是2023年11月19日,前一天即2023年11月18日,木姐當局將一些電信詐騙嫌犯移交給中方[7][8],這些嫌犯來自木姐的共58個電詐據點[9]。然而,據說詐騙集團的幹部等人提前潛逃於山區,逃脫了抓捕[10]。次年即2024年,中緬雙方當局共同合作,在木姐兩次發起電信詐騙嫌犯大抓捕行動[11][12]。 至於本影片的內容,(字數限制)
中緬国境雲南瑞麗総仏寺・傣王宮から眺めたミャンマーシャン州ムセ(2023年11月19日)/從中緬邊境雲南瑞麗總佛寺・傣王宮眺望的緬甸撣邦木姐(2023年11月19日)/从中缅边境云南瑞丽总佛寺・傣王宫眺望的缅甸掸邦木姐(2023年11月19日) 中緬国境に位置する中国雲南省徳宏州瑞麗市の総仏寺・傣王宮広賀罕古城遺址(タイ族の明朝麓川王の宮殿跡地)には、ミャンマー1027作戦第一弾期間にあたる2023年11月と第二弾開始前の停戦期間にあたる2024年5月に、それぞれ2度、合計4度訪れ、向かい側に広がるミャンマーシャン州ムセの街並みを眺望してみました。最近、泰緬国境に位置するミャンマーカレン州ミャワディがオンライン詐欺拠点として有名になりましたが、中緬国境に位置するシャン州ムセにも少なからずオンライン詐欺拠点が存在するとのことであり、その様子を遠望してみるという狙いもありました。 一説によれば、ムセのオンライン詐欺拠点は多い時で百箇所を超えていたと言われており[1]、そこに見えているあれもこれも恐らく詐欺拠点らしいですが[2][3][4][5][6]、真偽の程は不明です。本動画の素材を撮影した2023年11月19日の前日にあたる2023年11月18日には、ムセ当局から中国側へオンライン詐欺犯の引き渡しが実施されましたが[7][8]、それはムセにある58箇所の詐欺拠点からであり[9]、ただ、幹部等は山中に隠れて逮捕を逃れたとも言われ[10]、翌2024年には、中緬両国共同でのオンライン詐欺犯の一斉逮捕が二度にわたってムセで実施されました[11][12]。 さて、本動画の内容について説明すると、瑞麗市の中心部から総仏寺・傣王宮へ歩いて向かう途中、重火器の発射音については、相当の間隔を空けて、たまに聞こえる程度であり、総仏寺・傣王宮に到着する頃には、その頻度はさらに下がっていたので、結局、その瞬間には間に合わず、録画できた動画はありませんでした。ただ、またまた付近で多くの雑音が発生していたのは一種の妨害なのかもしれませんが、ヘリコプターの飛行騒音や軽火器の射撃音をスマホは捉えていたようです。ムセの周辺地域には、ミャンマー民族民主同盟軍(MNDAA)等が迫っていたりしたからでしょう。しかし、ムセは、中緬国境最大の陸上貿易ゲートがあるという非常に高い重要性を具備しており、その後も包囲が継続されたまま、陥落はせず、2025年1月に、中国政府の仲裁により、MNDAAは、とりあえず再度の停戦ということになったようです。 ミャンマーの辺境地域は、ある意味、旧日本軍が放った第二次世界大戦の戦火の残り火が燃え続けてきたとも言え、1948年の独立直後から内戦が続いており、現在、世界で最も長く続いている内戦です。そのミャンマーで少数民族抹殺に対する抵抗を続けてきた少数民族武装組織の中でも歴史が長いカレン民族解放軍(KNLA)には、義勇兵・傭兵・教官として参加してきた日本人の歴史があり[13][14]、カレン州ミャワディの向かい側にあたるタイ王国ターク県メーソートには「自由戦士の碑」が建てられているとのことです[15]。また、中国国内版のショート動画投稿サイトを見ていると、ミャンマー現地の一般兵卒の報酬はせいぜい数百人民元/月であると言われているにも関わらず、少数民族軍に参加したいとコメントしているユーザーを時々見掛けます。中国のSNSは2022年から、IP所属地域の表示が義務付けられているので、ミャンマーのネットユーザーなのか、ミャンマー北部を含む雲南省系のネットユーザーなのか、あるいは中国内地や海外のユーザーなのかを一応判別できます[16]。ミャンマーの主要民族であるビルマ族も起源は現在の中国領内であると言われており、中緬両国に共通する少数民族には、コーカン族/漢族、ワ族、パラウン族/徳昂族、カチン族/景頗族、シャン族/タイ族、リス族、アカ族、苗族、瑶族等があって、国境を跨いで暮らしており、また、同情を寄せる海外華人も含め、不動産バブル崩壊後の閉塞感溢れる社会環境の下では、ミャンマーの少数民族軍、あるいは国民防衛隊(PDF)等に参加したいと考える人が出てくるのは、ある意味、当然のことかもしれません。ウクライナ軍またはロシア軍等に傭兵として参加すれば、相応の報酬が貰えるのでしょうが、敢えてミャンマー革命にタダみたいな金額や無報酬でも参加したいと考える地球市民もいるのであって、途上国で高給が貰えるという宣伝を簡単に信じてオンライン詐欺の被害に遭う人、さらには自ら志願して詐欺に加担する人ばかりではないことを気に留めておいていただければと思います。 補足:一度、画面の左下の方に小さく、飛行機の機体のような物体が山中にあるように見えるコマがありますが、それは機体を利用して作られた「飛行機食堂」というムセの新名所だろうと思われます。 参考資料 [1]乾いた世界/燥哥躁世界《“勇闯”缅甸(十七)木姐-鱼龙混杂的"园区庇护所" 仅仅一江之隔》2023年8月18日、 • “勇闯”缅甸(十七)木姐-鱼龙混杂的"园区庇护所" 仅仅一江之隔 [2]潘宏的朋友圈《海波拍木姐园区全景,园区很高的封闭着,海波直呼曝光园区位置》2023年5月11日、https://www.bilibili.com/video/BV1wX4... [3]四川爱心《木姐园区大佬》2024年3月10日、https://v.douyin.com/ifbPuFoB/ [4]爱心《反诈联盟》《求助:救救我的老公吧!木姐》2024年3月1日、https://v.douyin.com/ifbynQF5/ [5]VFA_TZ《黑公司曝光:木姐TOP园区、亚太图腾集团旗》2024年3月19日、https://www.bilibili.com/opus/9104168... [6]Googleマップ《木姐CBD诈骗园区》https://maps.app.goo.gl/9Sh2VNs9qDvcT... [7]人民网《公安部:缅北共向我方移交电信网络诈骗犯罪嫌疑人3.1万名》2023年11月21日、http://society.people.com.cn/n1/2023/... [8]VFA_TZ《木姐电诈园区开仓放人集体回国踩缝纫机》2023年11月19日、https://www.bilibili.com/video/BV1uj4... [9]东南亚反诈骗联盟《随着中缅四国联合执法力度加大,缅北木姐58个电诈园区,小部分释放被困在诈骗园区的中国人?》2023年11月19日、https://zhuanlan.zhihu.com/p/667660488 [10]东南亚啊文《爆料:木姐诈骗公司老板和主管逃往山上躲避抓捕?》2023年11月20日、https://www.toutiao.com/w/73035150429... [11]中国公安《中缅警方首次在缅北木姐地区开展联合打击行动:352名中国籍电信网络诈骗犯罪嫌疑人被移交我方》2024年4月1日、https://www.mps.gov.cn/n2253534/n2253... [12]中国公安《中缅警方在缅北木姐地区开展第二次联合打击行动:313名实施跨境电信网络诈骗的中国籍犯罪嫌疑人被移交我方》2024年9月30日、https://www.mps.gov.cn/n2253534/n2253... [13]カレン民族解放軍「ミャンマー内戦の実相 (2)」2024年2月14日、 • 【カレン民族解放軍】ミャンマー内戦の実相 (2) [14]Bungeisichoo「「カレン民族解放軍のなかで」西山孝純著」2022/12/24、 • 「カレン民族解放軍のなかで」西山孝純著 [15]メーソートちゃんねる「【自由戦士之碑】カレン民族独立支援を志し少数民族の人間としての尊厳のために青春の情熱と命を捧げた日本人自由戦士ここに眠る」2021年7月17日、 • 【自由戦士之碑】「カレン民族独立支援を志し少数民族の人間としての尊厳のため... [16]国家互联网信息办公室《互联网用户账号信息管理规定》(国家互联网信息办公室令第10号)2022年06月27日、https://www.gov.cn/zhengce/zhengceku/... #中国 #雲南 #徳宏 #瑞麗 #総仏寺 #傣王宮 #中緬国境 #ミャンマー #シャン州 #ムセ #平和学 #地球市民 #ミャンマー革命 #オンライン詐欺 #特殊詐欺 位於中緬邊境中國雲南省德宏州瑞麗市的總佛寺・傣王宮廣賀罕古城遺址(傣族明朝麓川王的王城遺址),我分別在緬甸1027行動第一期期間的2023年11月和第二期之前的停火期間的2024年5月各兩次共4次到訪,想從那裡眺望對面的緬甸撣邦木姐的城市街景。最近,泰緬邊境緬甸克倫邦苗瓦迪因跨境詐騙集團行動據點而廣為人知,但據說在中緬邊境撣邦木姐也有不少電信詐騙據點,因此我也有意從遠處觀察那一帶的狀況。 據說,木姐的電詐據點一度超過百處[1],並且有說法稱,從瑞麗看得到的那棟樓和這棟樓大致也是電詐據點[2][3][4][5][6],但其真實性無法確認。我拍攝本影片素材的時間是2023年11月19日,前一天即2023年11月18日,木姐當局將一些電信詐騙嫌犯移交給中方[7][8],這些嫌犯來自木姐的共58個電詐據點[9]。然而,據說詐騙集團的幹部等人提前潛逃於山區,逃脫了抓捕[10]。次年即2024年,中緬雙方當局共同合作,在木姐兩次發起電信詐騙嫌犯大抓捕行動[11][12]。 至於本影片的內容,(字數限制)
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ミャンマーシャン州との国境都市である中国雲南省徳宏州瑞麗市には、翡翠等を扱うロヒンギャの方々等の宝飾品業者が少なからずいらっしゃいます。現地で暮らす回族を主対象とするイスラム寺院(清真寺としての正式な許可はまだ下りていないので、回族服務站とのこと)には、少なくないロヒンギャ等のミャンマームスリムの方々も通っていらっしゃいます。写真は2024年5月12日、17日に撮影したものです。二回目の際は、途中から雨も降ってきましたが、金曜日の午後でしたので、大勢の信者の方々がいらっしゃっていました。職員さんによれば、海外情報は真実性の確認が難しいので、寺院として海外支援は行っておらず、個人判断になるとのことでした。今回、中国ノービザ入国政策が日数倍増を伴って再開され、しかも適用入国事由に新たに交流が加えられました。ぜひ、中国にお越しください。 #中国 #雲南 #徳宏 #瑞麗 #ミャンマー #イスラム #モスク #清真寺 #ロヒンギャ #ムスリム #Mosque #Muslims #Ruili #Dehong #Yunnan #China #Myanmar #Rohingya
ミャンマーシャン州との国境都市である中国雲南省徳宏州瑞麗市には、翡翠等を扱うロヒンギャの方々等の宝飾品業者が少なからずいらっしゃいます。現地で暮らす回族を主対象とするイスラム寺院(清真寺としての正式な許可はまだ下りていないので、回族服務站とのこと)には、少なくないロヒンギャ等のミャンマームスリムの方々も通っていらっしゃいます。写真は2024年5月12日、17日に撮影したものです。二回目の際は、途中から雨も降ってきましたが、金曜日の午後でしたので、大勢の信者の方々がいらっしゃっていました。職員さんによれば、海外情報は真実性の確認が難しいので、寺院として海外支援は行っておらず、個人判断になるとのことでした。今回、中国ノービザ入国政策が日数倍増を伴って再開され、しかも適用入国事由に新たに交流が加えられました。ぜひ、中国にお越しください。 #中国 #雲南 #徳宏 #瑞麗 #ミャンマー #イスラム #モスク #清真寺 #ロヒンギャ #ムスリム #Mosque #Muslims #Ruili #Dehong #Yunnan #China #Myanmar #Rohingya
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·2024-12-3
蘇州霊巌山、宋韓蘄王韓世忠の墓・神道墓碑/蘇州靈巖山、韓蘄王韓世忠墓、神道墓碑 前日に、江蘇省宜興市内にある儲安平衣冠塚を訪れましたが、ネット環境の関係で、次の目的地について調べることができず、また、午前中には小雨が降るということでしたので、目的地をどこにするか最後まで迷いましたが、2016年5月と2023年1月に蘇州市呉中区木涜鎮にある霊巌山南麓を訪れたことがあったものの、時間の関係で霊巌山自体には登ったことがなかったため、やはり霊巌山を選びました。 霊巌山に登ってみると、福岡県八女市周辺を産地とする玉露で有名な八女茶に関して、八女・筑後広域市町村圏事務組合の落款にて建てられた石碑がありました。室町時代の八女市周辺に伝えられた八女茶の発祥の地がこの霊巌山であるということですね。 さて、山中には、霊巌山南麓をよく見渡せるスポットが何か所もあり、それらの風景を眺めながら、進行ルートをどう採るのかについて迷いましたが、結局、源義経の「鵯越」ではございませんが、意を決して下山することにしました。霊巌山南麓の公共墓地内に韓世忠の墓があります。前回、2023年1月の際、清掃職員さんに尋ねてみると、韓世忠の墓は訪問可能だとの回答でした。今回、清掃職員さんの案内にて、南宋の岳飛と同時期に活躍した抗金の名将である韓世忠将軍の墓「宋韓蘄王墓」と「宋韓蘄王神道墓碑・中興佐命定国元勲之碑」を訪れることができました。韓世忠も岳飛と同様に数々の戦功を挙げましたが、秦檜によって陥れられ、岳飛は死を賜り、韓世忠は天寿を全うすることができました。 実は、公共墓地内には、80年代に二度にわたって名誉を回復された民主人士である林昭の墓もあります。林昭については、アジアンドキュメンタリーズから関連映画の日本語字幕版が配信されていたりしますので、ご存じの方もいらっしゃるかと思います。ただ、やはり、このご時世ですので、前年と同様に、案内するのは難しいとの回答でした。いつかそのうち、十年程度もあれば、普通に訪れることができるようになるでしょう。とりあえず、今回、2016年と2023年に続く三度目にて、初めて公共墓地内に入り、韓世忠の墓を訪れることができ、よかったです。なお、公共墓地の外側にある「韓蘄王祠」は閉まったままであるようでした。 最後に、霊巌山の麓をいろいろ巡ってから、前年に連結された蘇州地下鉄と上海地下鉄を乗り継ぎ、上海市内に戻りました。今回、中国の対日ノービザ入国政策の再開にあたり、ややセンシティブではありますが、観光や翻訳通訳業界等の振興のためにも、敢えて本動画を配信させていただくことにいたしました。ぜひ、中国大陸にお越しください。 #中国 #江蘇 #蘇州 #木涜 #霊巌山 #靈巖山 #韓世忠 #林昭 #岳飛 #ノービザ #民主化 #中国旅行 #海外旅行 #八女茶 #平和学 https://www.youtube.com/watch?v=j5yzKVs7eDk https://www.youtube.com/watch?v=M8Gqu7CSpEk https://www.youtube.com/watch?v=ziCTpGvguPE https://www.youtube.com/watch?v=hRskboELAC0 前一天,我參觀了江蘇省宜興市內的儲安平衣冠塚。由於網路原因,我無法查詢下一個目的地的訊息,而且天氣預報稱上午還會下小雨,所以我一直猶豫當天到底選哪裡去。雖然我2016年5月和2023年1月已經來過蘇州市吳中區木瀆鎮靈巖山的南麓,但由於時間關係,我還沒有爬過靈巖山,所以最終還是選擇了靈巖山。 我在靈巖山看到了以八女・筑後廣域市町村圈事務組合之落款豎立的石碑。日本福岡縣八女市周邊是以玉露而聞名的八女茶的產地。據傳靈巖山就是於日本室町時代傳到福岡縣八女市周邊的八女茶的發祥地。 順便說一下,山上有好幾個可以眺望靈巖山南麓的地方。看著這些風景,我一直猶豫該走哪條路,最終我決定了下山。雖然不是日本鎌倉時代源義經的「鵯越」的典故,通過很陡峭的小路下去了。韓世忠墓位於靈巖山南麓的公墓內。上一次2023年1月,清潔人員回覆稱可以參觀韓世忠墓。於是,我這次就參觀了與南宋岳飛同時期活躍的著名抗金名將韓世忠墓「宋韓蘄王墓」和「宋韓蘄王神道墓碑・中興佐命定國元勳之碑」。和岳飛一樣,韓世忠也立下了許多戰功,但後來被秦檜陷害,岳飛被賜死,韓世忠則得以善終。 其實,公墓內還有民主人士林昭之墓。林昭已於80年代分別兩次獲得了平反。除了中文版相關影片,還有由Asian Documentaries提供的日文字幕版,因此有的日本民眾也可能聽說過林昭她的名字。只是,在目前的局勢之下,清潔人員回覆稱不方便參觀。這與前一年一樣。我想可能是在未來十年左右的時間裡,應該會迎來能夠正常訪問的一天吧。不管怎樣,我2016年和2023年已經來過門口,我這一次終於成功進入公墓內,並參觀了韓世忠墓,感到很高興。此外,位於公墓之外的「韓蘄王祠」似乎仍處於關閉狀態。 最後,遊覽完靈巖山山腳後,我搭乘前一年連成一體的蘇州地鐵和上海地鐵回到了上海市區。 值此中國大陸恢復對日本等國家的免簽入境政策之際,儘管較為敏感,但也為了促進旅遊、翻譯通譯等行業,我決定發布這部影片。歡迎各位來中國大陸旅遊。
蘇州霊巌山、宋韓蘄王韓世忠の墓・神道墓碑/蘇州靈巖山、韓蘄王韓世忠墓、神道墓碑 前日に、江蘇省宜興市内にある儲安平衣冠塚を訪れましたが、ネット環境の関係で、次の目的地について調べることができず、また、午前中には小雨が降るということでしたので、目的地をどこにするか最後まで迷いましたが、2016年5月と2023年1月に蘇州市呉中区木涜鎮にある霊巌山南麓を訪れたことがあったものの、時間の関係で霊巌山自体には登ったことがなかったため、やはり霊巌山を選びました。 霊巌山に登ってみると、福岡県八女市周辺を産地とする玉露で有名な八女茶に関して、八女・筑後広域市町村圏事務組合の落款にて建てられた石碑がありました。室町時代の八女市周辺に伝えられた八女茶の発祥の地がこの霊巌山であるということですね。 さて、山中には、霊巌山南麓をよく見渡せるスポットが何か所もあり、それらの風景を眺めながら、進行ルートをどう採るのかについて迷いましたが、結局、源義経の「鵯越」ではございませんが、意を決して下山することにしました。霊巌山南麓の公共墓地内に韓世忠の墓があります。前回、2023年1月の際、清掃職員さんに尋ねてみると、韓世忠の墓は訪問可能だとの回答でした。今回、清掃職員さんの案内にて、南宋の岳飛と同時期に活躍した抗金の名将である韓世忠将軍の墓「宋韓蘄王墓」と「宋韓蘄王神道墓碑・中興佐命定国元勲之碑」を訪れることができました。韓世忠も岳飛と同様に数々の戦功を挙げましたが、秦檜によって陥れられ、岳飛は死を賜り、韓世忠は天寿を全うすることができました。 実は、公共墓地内には、80年代に二度にわたって名誉を回復された民主人士である林昭の墓もあります。林昭については、アジアンドキュメンタリーズから関連映画の日本語字幕版が配信されていたりしますので、ご存じの方もいらっしゃるかと思います。ただ、やはり、このご時世ですので、前年と同様に、案内するのは難しいとの回答でした。いつかそのうち、十年程度もあれば、普通に訪れることができるようになるでしょう。とりあえず、今回、2016年と2023年に続く三度目にて、初めて公共墓地内に入り、韓世忠の墓を訪れることができ、よかったです。なお、公共墓地の外側にある「韓蘄王祠」は閉まったままであるようでした。 最後に、霊巌山の麓をいろいろ巡ってから、前年に連結された蘇州地下鉄と上海地下鉄を乗り継ぎ、上海市内に戻りました。今回、中国の対日ノービザ入国政策の再開にあたり、ややセンシティブではありますが、観光や翻訳通訳業界等の振興のためにも、敢えて本動画を配信させていただくことにいたしました。ぜひ、中国大陸にお越しください。 #中国 #江蘇 #蘇州 #木涜 #霊巌山 #靈巖山 #韓世忠 #林昭 #岳飛 #ノービザ #民主化 #中国旅行 #海外旅行 #八女茶 #平和学 https://www.youtube.com/watch?v=j5yzKVs7eDk https://www.youtube.com/watch?v=M8Gqu7CSpEk https://www.youtube.com/watch?v=ziCTpGvguPE https://www.youtube.com/watch?v=hRskboELAC0 前一天,我參觀了江蘇省宜興市內的儲安平衣冠塚。由於網路原因,我無法查詢下一個目的地的訊息,而且天氣預報稱上午還會下小雨,所以我一直猶豫當天到底選哪裡去。雖然我2016年5月和2023年1月已經來過蘇州市吳中區木瀆鎮靈巖山的南麓,但由於時間關係,我還沒有爬過靈巖山,所以最終還是選擇了靈巖山。 我在靈巖山看到了以八女・筑後廣域市町村圈事務組合之落款豎立的石碑。日本福岡縣八女市周邊是以玉露而聞名的八女茶的產地。據傳靈巖山就是於日本室町時代傳到福岡縣八女市周邊的八女茶的發祥地。 順便說一下,山上有好幾個可以眺望靈巖山南麓的地方。看著這些風景,我一直猶豫該走哪條路,最終我決定了下山。雖然不是日本鎌倉時代源義經的「鵯越」的典故,通過很陡峭的小路下去了。韓世忠墓位於靈巖山南麓的公墓內。上一次2023年1月,清潔人員回覆稱可以參觀韓世忠墓。於是,我這次就參觀了與南宋岳飛同時期活躍的著名抗金名將韓世忠墓「宋韓蘄王墓」和「宋韓蘄王神道墓碑・中興佐命定國元勳之碑」。和岳飛一樣,韓世忠也立下了許多戰功,但後來被秦檜陷害,岳飛被賜死,韓世忠則得以善終。 其實,公墓內還有民主人士林昭之墓。林昭已於80年代分別兩次獲得了平反。除了中文版相關影片,還有由Asian Documentaries提供的日文字幕版,因此有的日本民眾也可能聽說過林昭她的名字。只是,在目前的局勢之下,清潔人員回覆稱不方便參觀。這與前一年一樣。我想可能是在未來十年左右的時間裡,應該會迎來能夠正常訪問的一天吧。不管怎樣,我2016年和2023年已經來過門口,我這一次終於成功進入公墓內,並參觀了韓世忠墓,感到很高興。此外,位於公墓之外的「韓蘄王祠」似乎仍處於關閉狀態。 最後,遊覽完靈巖山山腳後,我搭乘前一年連成一體的蘇州地鐵和上海地鐵回到了上海市區。 值此中國大陸恢復對日本等國家的免簽入境政策之際,儘管較為敏感,但也為了促進旅遊、翻譯通譯等行業,我決定發布這部影片。歡迎各位來中國大陸旅遊。
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·2024-11-25
嫌がらせ野郎来襲の上海長興島(2024年11月21日14時過ぎ) 前回、大家の親族の葬儀中であった今年8月末に続き、本日午後、私服を着用した見知らぬ者に、またもや外から突然、勝手に窓を開けられました。今回は、さらに、ドアを開けろって、何する気?聞いても回答なし。しまいには、公安局、派出所職員だと身分を騙り始め、窓や戸を叩きながら、大声で開けろと。後ほど、大家に確認すると、近所に住む知り合いだから、気にするなとのこと。日本時代には、もっともっと激しい嫌がらせを受けたこともありますので、この程度では、効果なしですね。おそらくは、近日、中国国外のプラットフォーム上で配信した日本語のコメントの内容が気に喰わないかなんかなのでしょう。どこに行ってもいますね、こういう輩。まあ、これもまた人類社会の一側面だということなのでしょう。 #中国 #上海  #崇明  #長興島  #上海長興島  #嫌がらせ  #外資  #フリーランス  #翻訳会社  #田舎  #農村  #排外主義  #外国人差別  #民主化  #人権
嫌がらせ野郎来襲の上海長興島(2024年11月21日14時過ぎ) 前回、大家の親族の葬儀中であった今年8月末に続き、本日午後、私服を着用した見知らぬ者に、またもや外から突然、勝手に窓を開けられました。今回は、さらに、ドアを開けろって、何する気?聞いても回答なし。しまいには、公安局、派出所職員だと身分を騙り始め、窓や戸を叩きながら、大声で開けろと。後ほど、大家に確認すると、近所に住む知り合いだから、気にするなとのこと。日本時代には、もっともっと激しい嫌がらせを受けたこともありますので、この程度では、効果なしですね。おそらくは、近日、中国国外のプラットフォーム上で配信した日本語のコメントの内容が気に喰わないかなんかなのでしょう。どこに行ってもいますね、こういう輩。まあ、これもまた人類社会の一側面だということなのでしょう。 #中国 #上海 #崇明 #長興島 #上海長興島 #嫌がらせ #外資 #フリーランス #翻訳会社 #田舎 #農村 #排外主義 #外国人差別 #民主化 #人権
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·2024-11-21
宜興人文之林儲安平衣冠塚、団氿風景区/宜興人文之林儲安平衣冠塚、團氿風景區 2024年3月、前年に繋がった上海地下鉄と蘇州地下鉄を乗り継いで蘇州方面へ向かう機会があったので、ついでに、蘇州から無錫経由で宜興へ行ってみました。宜興の郊外にある共同墓地内に、地元出身の著名人が祀られている人文之林と名付けられた区画があり、そこに儲安平衣冠塚があるということなので、そちらに向かいました。 共同墓地内に入ると、上海市副市長等の要職を歴任された潘漢年の事績陳列館、衣冠塚がありました。潘漢年については、遠藤誉作品に登場したりするので、ご存じの方もいらっしゃるかと思います。後に、投獄されたりしましたが、文革後に名誉が回復されました。 さて、人文之林内に入ってみると、まずは、「田横五百士」等の作品を描いた画家として有名な徐悲鴻と夫人の衣冠塚がありました。 奥へ進むと、各人物の碑が並んでいて、その中に、民国時代に果敢な政権批判等を行われたリベラル派ジャーナリストで、新中国成立後は、新華書店本店副総経理、出版総署発行局副局長、民主諸党派九三学社中央委員兼宣伝部副部長、光明日報編集長等の要職を歴任された儲安平の衣冠塚がありました。儲安平については、「新編原典中国近代思想史」(岩波書店、2011年)に一部の作品が納められているようなので、ご存じの方もいらっしゃるかと思います。後に、反右派闘争や文革に巻き込まれ、1966年に失踪という悲劇に見舞われました。ここには、遺品等のみが納められているので、衣冠塚ということですね。 他にも、第二次世界大戦時に、勇敢にも、欧州ベルギーで反ナチスのベルギー人の救済に尽力されたという銭秀玲の記念碑等がありました。 街中に戻り、景勝地である団氿という湖の東岸を北上してみました。夕日が湖面に映り、眩しかったです。宜興長距離バスターミナルの向かい側に、徐悲鴻公園があり、公園内には徐悲鴻の像がありました。今回は時間の関係で、徐悲鴻記念館等、他の観光地は廻れなかったので、また次の機会に廻ってみたいと思います。 #儲安平 #中国 #江蘇 #宜興 #人文之林 #ジャーナリスト #中國 #江苏 #宜兴 #报人 #墓 #移行期正義 #轉型正義 #转型正义 #ChuAnPing #储安平 #潘漢年 #徐悲鴻 #銭秀玲 #民主  #憲政  2024年3月,我有機會搭乘前一年連成一體的上海地鐵和蘇州地鐵前往蘇州,順便從蘇州出發經由無錫前往宜興。宜興郊外有一處公墓,其中有一片區域叫人文之林,供奉著當地名人,儲安平衣冠塚就在那裡,因此前往了該公墓。 進入公墓後,往前走,看到了潘漢年事蹟陳列館和潘漢年衣冠塚。潘漢年曾擔任過上海市副市長等重要職務。由於潘漢年出現在遠藤譽的著作之中,所以各位可能對潘漢年比較熟悉。後來,潘漢年遭判刑入獄,文革後才得以平反。 現在,走進人文之林,首先看到的是以《田橫五百士》等作品而聞名的畫家徐悲鴻和夫人的衣冠塚。 然後繼續往前走,就看到了各種人物的墓碑等。其中包括民國時期大膽批評政府的自由派報人,新中國成立後,還擔任過新華書店總店副總經理、出版總署發行局副局長、民主黨派九三學社中央委員兼宣傳部副部長以及光明日報總編等重要職務的儲安平的衣冠塚。儲安平的一些著作被收錄在日文版《新編原典中國近代思想史》(岩波書店,2011年),因此有些日本國內民眾也可能對儲安平比較熟悉。後來,儲安平被捲入反右鬥爭和文革這些漩渦,於1966年遭遇失蹤的悲劇。由於這裡只保存儲安平的遺物等,所以這裡就是衣冠塚。 人文之林中,還有二戰期間在歐洲比利時勇敢地營救反納粹比利時人的錢秀玲之紀念碑等。 回到市中心,沿著風景區團氿這汪湖泊的東岸向北走,夕陽映在湖面上,覺得光線刺眼。宜興長途汽車站的對面有徐悲鴻公園,公園內有一尊徐悲鴻的雕像。這次由於時間關係,沒能去徐悲鴻紀念館等其他景點,所以下次有機會再去參觀一下。
宜興人文之林儲安平衣冠塚、団氿風景区/宜興人文之林儲安平衣冠塚、團氿風景區 2024年3月、前年に繋がった上海地下鉄と蘇州地下鉄を乗り継いで蘇州方面へ向かう機会があったので、ついでに、蘇州から無錫経由で宜興へ行ってみました。宜興の郊外にある共同墓地内に、地元出身の著名人が祀られている人文之林と名付けられた区画があり、そこに儲安平衣冠塚があるということなので、そちらに向かいました。 共同墓地内に入ると、上海市副市長等の要職を歴任された潘漢年の事績陳列館、衣冠塚がありました。潘漢年については、遠藤誉作品に登場したりするので、ご存じの方もいらっしゃるかと思います。後に、投獄されたりしましたが、文革後に名誉が回復されました。 さて、人文之林内に入ってみると、まずは、「田横五百士」等の作品を描いた画家として有名な徐悲鴻と夫人の衣冠塚がありました。 奥へ進むと、各人物の碑が並んでいて、その中に、民国時代に果敢な政権批判等を行われたリベラル派ジャーナリストで、新中国成立後は、新華書店本店副総経理、出版総署発行局副局長、民主諸党派九三学社中央委員兼宣伝部副部長、光明日報編集長等の要職を歴任された儲安平の衣冠塚がありました。儲安平については、「新編原典中国近代思想史」(岩波書店、2011年)に一部の作品が納められているようなので、ご存じの方もいらっしゃるかと思います。後に、反右派闘争や文革に巻き込まれ、1966年に失踪という悲劇に見舞われました。ここには、遺品等のみが納められているので、衣冠塚ということですね。 他にも、第二次世界大戦時に、勇敢にも、欧州ベルギーで反ナチスのベルギー人の救済に尽力されたという銭秀玲の記念碑等がありました。 街中に戻り、景勝地である団氿という湖の東岸を北上してみました。夕日が湖面に映り、眩しかったです。宜興長距離バスターミナルの向かい側に、徐悲鴻公園があり、公園内には徐悲鴻の像がありました。今回は時間の関係で、徐悲鴻記念館等、他の観光地は廻れなかったので、また次の機会に廻ってみたいと思います。 #儲安平 #中国 #江蘇 #宜興 #人文之林 #ジャーナリスト #中國 #江苏 #宜兴 #报人 #墓 #移行期正義 #轉型正義 #转型正义 #ChuAnPing #储安平 #潘漢年 #徐悲鴻 #銭秀玲 #民主 #憲政 2024年3月,我有機會搭乘前一年連成一體的上海地鐵和蘇州地鐵前往蘇州,順便從蘇州出發經由無錫前往宜興。宜興郊外有一處公墓,其中有一片區域叫人文之林,供奉著當地名人,儲安平衣冠塚就在那裡,因此前往了該公墓。 進入公墓後,往前走,看到了潘漢年事蹟陳列館和潘漢年衣冠塚。潘漢年曾擔任過上海市副市長等重要職務。由於潘漢年出現在遠藤譽的著作之中,所以各位可能對潘漢年比較熟悉。後來,潘漢年遭判刑入獄,文革後才得以平反。 現在,走進人文之林,首先看到的是以《田橫五百士》等作品而聞名的畫家徐悲鴻和夫人的衣冠塚。 然後繼續往前走,就看到了各種人物的墓碑等。其中包括民國時期大膽批評政府的自由派報人,新中國成立後,還擔任過新華書店總店副總經理、出版總署發行局副局長、民主黨派九三學社中央委員兼宣傳部副部長以及光明日報總編等重要職務的儲安平的衣冠塚。儲安平的一些著作被收錄在日文版《新編原典中國近代思想史》(岩波書店,2011年),因此有些日本國內民眾也可能對儲安平比較熟悉。後來,儲安平被捲入反右鬥爭和文革這些漩渦,於1966年遭遇失蹤的悲劇。由於這裡只保存儲安平的遺物等,所以這裡就是衣冠塚。 人文之林中,還有二戰期間在歐洲比利時勇敢地營救反納粹比利時人的錢秀玲之紀念碑等。 回到市中心,沿著風景區團氿這汪湖泊的東岸向北走,夕陽映在湖面上,覺得光線刺眼。宜興長途汽車站的對面有徐悲鴻公園,公園內有一尊徐悲鴻的雕像。這次由於時間關係,沒能去徐悲鴻紀念館等其他景點,所以下次有機會再去參觀一下。
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·2024-10-3
台北自由墓園、政治大学雷震記念館・研究センター/台北自由墓園、政治大學雷震紀念館暨雷震研究中心 9月16日は殷海光忌にあたりますので、2024年2月に撮影した写真をもとに、殷海光先生の墓がある自由墓園に関する動画を作成してみました。 自由墓園は台北市南港区に近い南港墓園内にあり、住所からいうと、新北市深坑区(旧台北県深坑郷)になるのでしょう。南港方面から向かうこともできますが、今回は台北MRT木柵線からバスに乗り換えるルートを選びました。自由墓園内には、嘗て台湾の民主化に多大な貢献のあった雑誌「自由中国」の関係者で外省系自由派知識人である雷震夫妻、殷海光夫妻、傅正先生等に加えて、自由墓園の設置者である雷震先生の他のご家族の墓碑があるようです。 続いて、自由墓園からさほど遠くないところにある国立政治大学には雷震記念館・研究センターがあるので、訪れてみることにしました。ただ、キャンパス内に設置されている地図を見ても、場所が見当たらず、事務職員と学生を含めて合計3人に聞いてみましたが、分からないとのことであり、やむを得ず、ネットで調べてみると、別のキャンパスにある図書館内にあるようなので、一旦、正門から出て、指南キャンパス達賢図書館に向かいました。図書館の6階に上がる必要があり、個人情報を入力し、パスポートを預けて、臨時の図書館カードを受け取りました。雷震先生関連の展示品は、通路に置かれた陳列棚の上や壁に掛けて展示されており、参観は無料です。ただ、展示物の数はそれほど多くはないような気がしました。とりあえず、図書館の職員さんには、キャンパス内に設置されている地図に記載がなく、学内でも知名度は高くない模様であるという問題点を指摘しておきました。   #台北 #自由墓園 #殷海光 #雷震 #傅正 #自由中国 #台湾 #政治大学 #中国民主党 #移行期正義 #民主 #憲政 #台灣 #政治大學 #中國民主黨 #轉型正義 #自由中國   9月16日是殷海光先生的忌日,我使用自己在2024年2月拍攝的原始相片,創作了殷海光先生之墓所在的自由墓園有關影片。 自由墓園位於台北市南港區附近的南港墓園內,從地址來說,在於新北市深坑區(原台北縣深坑鄉)。當然也可以從南港方面去,不過這次我選擇了台北捷運木柵線換乘公車的路線。自由墓園內有大陸赴台自由派知識分子雷震夫婦、殷海光夫婦、傅正先生等曾經對台灣民主化有很大貢獻的《自由中國》雜誌相關人士以及自由墓園的創設人雷震先生的其他家人的墓碑。 接著,我到訪了國立政治大學,是因為政治大學設有雷震紀念館暨雷震研究中心,而且政治大學距離自由墓園不太遠。只是,我看了一下校園內設置的地圖,結果地圖上根本找不到該紀念館暨研究中心的位置。於是,我問了一下包括大學行政人員和學生在內的總共三個人,但他們都說不知道。沒辦法,上網查了一下,結果發現目的地在另一個校區的圖書館裡。於是,我從正門出去,走到指南校區達賢圖書館。之後,又發現目的地在圖書館的六樓,需要登記個人資料並提交護照,換取一張臨時圖書館卡,才能入內。終於到了,與雷震先生有關的展示品陳列在走廊的展示櫃上,說明牌掛在牆壁上,可免費參觀。只是,我感覺數量並不多。回去的時候,我暫且先向圖書館工作人員反映了一下校園裡的地圖上沒有標註以及知名度不高這些問題。
台北自由墓園、政治大学雷震記念館・研究センター/台北自由墓園、政治大學雷震紀念館暨雷震研究中心 9月16日は殷海光忌にあたりますので、2024年2月に撮影した写真をもとに、殷海光先生の墓がある自由墓園に関する動画を作成してみました。 自由墓園は台北市南港区に近い南港墓園内にあり、住所からいうと、新北市深坑区(旧台北県深坑郷)になるのでしょう。南港方面から向かうこともできますが、今回は台北MRT木柵線からバスに乗り換えるルートを選びました。自由墓園内には、嘗て台湾の民主化に多大な貢献のあった雑誌「自由中国」の関係者で外省系自由派知識人である雷震夫妻、殷海光夫妻、傅正先生等に加えて、自由墓園の設置者である雷震先生の他のご家族の墓碑があるようです。 続いて、自由墓園からさほど遠くないところにある国立政治大学には雷震記念館・研究センターがあるので、訪れてみることにしました。ただ、キャンパス内に設置されている地図を見ても、場所が見当たらず、事務職員と学生を含めて合計3人に聞いてみましたが、分からないとのことであり、やむを得ず、ネットで調べてみると、別のキャンパスにある図書館内にあるようなので、一旦、正門から出て、指南キャンパス達賢図書館に向かいました。図書館の6階に上がる必要があり、個人情報を入力し、パスポートを預けて、臨時の図書館カードを受け取りました。雷震先生関連の展示品は、通路に置かれた陳列棚の上や壁に掛けて展示されており、参観は無料です。ただ、展示物の数はそれほど多くはないような気がしました。とりあえず、図書館の職員さんには、キャンパス内に設置されている地図に記載がなく、学内でも知名度は高くない模様であるという問題点を指摘しておきました。 #台北 #自由墓園 #殷海光 #雷震 #傅正 #自由中国 #台湾 #政治大学 #中国民主党 #移行期正義 #民主 #憲政 #台灣 #政治大學 #中國民主黨 #轉型正義 #自由中國 9月16日是殷海光先生的忌日,我使用自己在2024年2月拍攝的原始相片,創作了殷海光先生之墓所在的自由墓園有關影片。 自由墓園位於台北市南港區附近的南港墓園內,從地址來說,在於新北市深坑區(原台北縣深坑鄉)。當然也可以從南港方面去,不過這次我選擇了台北捷運木柵線換乘公車的路線。自由墓園內有大陸赴台自由派知識分子雷震夫婦、殷海光夫婦、傅正先生等曾經對台灣民主化有很大貢獻的《自由中國》雜誌相關人士以及自由墓園的創設人雷震先生的其他家人的墓碑。 接著,我到訪了國立政治大學,是因為政治大學設有雷震紀念館暨雷震研究中心,而且政治大學距離自由墓園不太遠。只是,我看了一下校園內設置的地圖,結果地圖上根本找不到該紀念館暨研究中心的位置。於是,我問了一下包括大學行政人員和學生在內的總共三個人,但他們都說不知道。沒辦法,上網查了一下,結果發現目的地在另一個校區的圖書館裡。於是,我從正門出去,走到指南校區達賢圖書館。之後,又發現目的地在圖書館的六樓,需要登記個人資料並提交護照,換取一張臨時圖書館卡,才能入內。終於到了,與雷震先生有關的展示品陳列在走廊的展示櫃上,說明牌掛在牆壁上,可免費參觀。只是,我感覺數量並不多。回去的時候,我暫且先向圖書館工作人員反映了一下校園裡的地圖上沒有標註以及知名度不高這些問題。
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·2024-9-17
新居浜金子山神風特攻隊敷島隊員の墓等/四國島新居濱金子山神風特攻隊敷島隊員之墓等 金子山の展望台から北側を見渡すと、眼前に広がるのは、住友グループの工場群、瀬戸内海燧灘とそこに浮かぶ島々、さらには対岸の中国山地。翻って、南側を見渡すと、中央構造線に沿って連なる急峻な四国山地石鎚山脈。南海大地震のような自然災害をもたらしたりもする造山運動ですが、これがないと、日本列島はそもそも存在しなかったかもしれませんね。また、海の色も、空の色も、遠くから眺めれば、そこそこ青く見えるのは、日本列島自体が大海に浮かぶ島嶼部だからこそでしょう。 さて、2024年パリオリンピックでは、日本代表選手による神風特攻隊関連施設発言が、中国大陸で物議を醸すといったことがございました。実は、神風特攻隊員として戦死された方の数は数千人規模であり、日本国内では、身近なところにも関連スポットがあったりするものです。江戸時代に別子銅山が開坑されて以降、住友グループ発祥の地、企業城下町として発展してきた四国地方屈指の工業都市新居浜市、さらには、隣接する西条市、四国中央市にも関連スポットがあるようです。2024年1月、新居浜市内の関連スポットの前を通り過ぎる機会があり、ついでに少し撮影してみました。 作成した動画は通常、国内外の主流プラットフォームで公開した後、リスクを判断した上で、できるだけ、こちら中国大陸の各種プラットフォーム上でも公開するようにしていますが、本作品を中国大陸のプラットフォームにおいても公開するべきかどうかと考えると、少し迷うところです。ちなみに、前々回、渡緬記者長井健司氏の墓に関する動画作品を中国大陸のプラットフォームで公開したところ、噛みついてきたフォロワーが一人いたこともあり、撮影日時の順番からいうと、本動画を構成する写真の撮影日時は、前回作品別子銅山中国人殉難者慰霊之碑を構成する写真の撮影日時よりも早く、順番が逆になってしまいますが、敢えて後者を優先して作成いたしました。 それはさておき、こうした歴史スポットに出くわしたときに、重要なことは、そこから何を学び取るかでしょう。可哀そう、忠君愛国、祖国防衛、あるいは、集団主義、洗脳、戦争と平和、侵略と被侵略等、いろいろな反応があろうかとは思いますが、とりあえず、対米関係についてのみ申し上げれば、自国民に確実な死を迫るという人命軽視の非常手段を使ってでも、天皇制という国体の維持が図られた時代が過去にあったのであり、そのような時代において、支配層は如何なる国益を犠牲にすることも厭わなかったはずであり、その後、条約、密約、その他社会的構造等によって、不平等な関係が長年固定化されてきたという面もあったりするのでしょう。これらは改められなければ、日本社会の長期低落傾向は継続し、とりわけ中下流階層は今後も長い期間にわたって、悪影響を受け続けることになるだろうと思われますが、日本国内で暮らしている皆さんは、果たして、それで良いのでしょうか?憲法に関わり、相手もいることなので、簡単な事ではありませんが、日本国内は、現状を改め、社会を革新するという気風に乏しいようです。もし、幕末に黒船が来航していなければ、日本は今なお江戸の鎖国時代が続いているかもしれませんね。経済的にはあまり発展しなかったかもしれませんが、今より幸せかもしれませんね。 https://youtu.be/etNiiq2_TlY?si=iYJ0H7UZXxCWa5ML #日本 #四国 #愛媛 #新居浜 #金子山 #滝の宮公園 #別子銅山 #神風特攻隊 #対米関係 #不平等条約 #密約 #瀬戸内海 #石鎚山脈 #中央構造線 #南海地震 從金子山的瞭望台向北眺望,可以看到與住友集團有關的很多工廠、瀨戶內海燧灘和漂浮在那裡的很多島嶼以及對岸的廣島縣中國山地。轉身向南看,就看到沿著中央構造線斷層陡然聳立的四國山地石鎚山脈。造山運動會引發南海大地震等天災,但如果沒有造山運動,日本列島可能根本就不存在。而且,從遠處看,海水和天空的顏色都顯得相當藍,是因為日本列島本身就是漂浮在大海中的島嶼地區的緣故吧。 話說,2024年巴黎奧運期間,一名日本運動員關於神風特攻隊相關文化設施的言論在中國大陸引發爭議。事實上,戰死的神風特攻隊飛行員的總數達數千人的規模,日本各地方都有相關古蹟。比如說,自別子銅山於江戶時代開採以來,作為住友集團的發祥地、城下町,發展成為四國島內主要工業城市之一的新居濱市,與此接壤的西條市和四國中央市均有相關古蹟。2024年1月,我有機會經過新居濱市內的相關古蹟,於是,順便拍了照片。 我創作出的影片通常會在日本國內和海外的主流平台上發布,然後在評估風險程度後,盡可能同樣在中國大陸的各個平台上發布。本影片該不該同樣在中國大陸的平台發布,這還得好好評估一下吧。順便說一句,我上上一次創作的關於赴緬記者長井健司先生墓的影片作品在中國大陸的一個平台上發布後,有一名粉絲留下了問題評論。也因為如此,從拍攝時間的順序來看,本作品的原始照片的拍攝時間早於關於別子銅山中國殉難勞工慰靈碑的作品的原始照片的拍攝時間,先後顛倒了,但我也特意把後者優先創作了。 不管怎麼樣,當遇到這些古蹟時,重要的是我們從中學到什麼。應該會有很可憐、忠君愛國、保家衛國,或者集體主義、洗腦、戰爭與和平、侵略與被侵略等各種反應。我先在這裡只說與美國的關係。日本曾經有過逼迫本國人民遂行一定會死的非常手段,也要企圖保留天皇制這樣輕視人命的年代。在那樣的年代裡,統治階層不惜一切代價,應該會犧牲其他任何利益。之後,透過條約、密約、其他社會結構等方式,不平等的關係應該被固定下來了,後來經過了很多年了。如果再不糾正這樣的結構,日本社會長期衰退的趨勢將持續下去,特別是中下階層未來很長時間應該受到負面影響。在日本國內生活的各位真的可以接受嗎?這涉及憲法,而且不僅有我方,也有對方,當然是一個不簡單的事情。只是不得不說日本國內似乎缺乏改變現狀和創新社會的精神。如果幕末時期黑船沒有來航,日本可能還處於鎖國的江戶時代。那樣的話,日本可能經濟上沒有太大發展,但日本人民可能過得比現在更快樂。 https://youtu.be/etNiiq2_TlY?si=iYJ0H7UZXxCWa5ML
新居浜金子山神風特攻隊敷島隊員の墓等/四國島新居濱金子山神風特攻隊敷島隊員之墓等 金子山の展望台から北側を見渡すと、眼前に広がるのは、住友グループの工場群、瀬戸内海燧灘とそこに浮かぶ島々、さらには対岸の中国山地。翻って、南側を見渡すと、中央構造線に沿って連なる急峻な四国山地石鎚山脈。南海大地震のような自然災害をもたらしたりもする造山運動ですが、これがないと、日本列島はそもそも存在しなかったかもしれませんね。また、海の色も、空の色も、遠くから眺めれば、そこそこ青く見えるのは、日本列島自体が大海に浮かぶ島嶼部だからこそでしょう。 さて、2024年パリオリンピックでは、日本代表選手による神風特攻隊関連施設発言が、中国大陸で物議を醸すといったことがございました。実は、神風特攻隊員として戦死された方の数は数千人規模であり、日本国内では、身近なところにも関連スポットがあったりするものです。江戸時代に別子銅山が開坑されて以降、住友グループ発祥の地、企業城下町として発展してきた四国地方屈指の工業都市新居浜市、さらには、隣接する西条市、四国中央市にも関連スポットがあるようです。2024年1月、新居浜市内の関連スポットの前を通り過ぎる機会があり、ついでに少し撮影してみました。 作成した動画は通常、国内外の主流プラットフォームで公開した後、リスクを判断した上で、できるだけ、こちら中国大陸の各種プラットフォーム上でも公開するようにしていますが、本作品を中国大陸のプラットフォームにおいても公開するべきかどうかと考えると、少し迷うところです。ちなみに、前々回、渡緬記者長井健司氏の墓に関する動画作品を中国大陸のプラットフォームで公開したところ、噛みついてきたフォロワーが一人いたこともあり、撮影日時の順番からいうと、本動画を構成する写真の撮影日時は、前回作品別子銅山中国人殉難者慰霊之碑を構成する写真の撮影日時よりも早く、順番が逆になってしまいますが、敢えて後者を優先して作成いたしました。 それはさておき、こうした歴史スポットに出くわしたときに、重要なことは、そこから何を学び取るかでしょう。可哀そう、忠君愛国、祖国防衛、あるいは、集団主義、洗脳、戦争と平和、侵略と被侵略等、いろいろな反応があろうかとは思いますが、とりあえず、対米関係についてのみ申し上げれば、自国民に確実な死を迫るという人命軽視の非常手段を使ってでも、天皇制という国体の維持が図られた時代が過去にあったのであり、そのような時代において、支配層は如何なる国益を犠牲にすることも厭わなかったはずであり、その後、条約、密約、その他社会的構造等によって、不平等な関係が長年固定化されてきたという面もあったりするのでしょう。これらは改められなければ、日本社会の長期低落傾向は継続し、とりわけ中下流階層は今後も長い期間にわたって、悪影響を受け続けることになるだろうと思われますが、日本国内で暮らしている皆さんは、果たして、それで良いのでしょうか?憲法に関わり、相手もいることなので、簡単な事ではありませんが、日本国内は、現状を改め、社会を革新するという気風に乏しいようです。もし、幕末に黒船が来航していなければ、日本は今なお江戸の鎖国時代が続いているかもしれませんね。経済的にはあまり発展しなかったかもしれませんが、今より幸せかもしれませんね。 https://youtu.be/etNiiq2_TlY?si=iYJ0H7UZXxCWa5ML #日本 #四国 #愛媛 #新居浜 #金子山 #滝の宮公園 #別子銅山 #神風特攻隊 #対米関係 #不平等条約 #密約 #瀬戸内海 #石鎚山脈 #中央構造線 #南海地震 從金子山的瞭望台向北眺望,可以看到與住友集團有關的很多工廠、瀨戶內海燧灘和漂浮在那裡的很多島嶼以及對岸的廣島縣中國山地。轉身向南看,就看到沿著中央構造線斷層陡然聳立的四國山地石鎚山脈。造山運動會引發南海大地震等天災,但如果沒有造山運動,日本列島可能根本就不存在。而且,從遠處看,海水和天空的顏色都顯得相當藍,是因為日本列島本身就是漂浮在大海中的島嶼地區的緣故吧。 話說,2024年巴黎奧運期間,一名日本運動員關於神風特攻隊相關文化設施的言論在中國大陸引發爭議。事實上,戰死的神風特攻隊飛行員的總數達數千人的規模,日本各地方都有相關古蹟。比如說,自別子銅山於江戶時代開採以來,作為住友集團的發祥地、城下町,發展成為四國島內主要工業城市之一的新居濱市,與此接壤的西條市和四國中央市均有相關古蹟。2024年1月,我有機會經過新居濱市內的相關古蹟,於是,順便拍了照片。 我創作出的影片通常會在日本國內和海外的主流平台上發布,然後在評估風險程度後,盡可能同樣在中國大陸的各個平台上發布。本影片該不該同樣在中國大陸的平台發布,這還得好好評估一下吧。順便說一句,我上上一次創作的關於赴緬記者長井健司先生墓的影片作品在中國大陸的一個平台上發布後,有一名粉絲留下了問題評論。也因為如此,從拍攝時間的順序來看,本作品的原始照片的拍攝時間早於關於別子銅山中國殉難勞工慰靈碑的作品的原始照片的拍攝時間,先後顛倒了,但我也特意把後者優先創作了。 不管怎麼樣,當遇到這些古蹟時,重要的是我們從中學到什麼。應該會有很可憐、忠君愛國、保家衛國,或者集體主義、洗腦、戰爭與和平、侵略與被侵略等各種反應。我先在這裡只說與美國的關係。日本曾經有過逼迫本國人民遂行一定會死的非常手段,也要企圖保留天皇制這樣輕視人命的年代。在那樣的年代裡,統治階層不惜一切代價,應該會犧牲其他任何利益。之後,透過條約、密約、其他社會結構等方式,不平等的關係應該被固定下來了,後來經過了很多年了。如果再不糾正這樣的結構,日本社會長期衰退的趨勢將持續下去,特別是中下階層未來很長時間應該受到負面影響。在日本國內生活的各位真的可以接受嗎?這涉及憲法,而且不僅有我方,也有對方,當然是一個不簡單的事情。只是不得不說日本國內似乎缺乏改變現狀和創新社會的精神。如果幕末時期黑船沒有來航,日本可能還處於鎖國的江戶時代。那樣的話,日本可能經濟上沒有太大發展,但日本人民可能過得比現在更快樂。 https://youtu.be/etNiiq2_TlY?si=iYJ0H7UZXxCWa5ML
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·2024-9-1
別子銅山中国人殉難者慰霊之碑/別子銅山中國殉難勞工慰靈碑 1691年から1973年まで採掘された別子銅山は、日本三大銅山の一つであり、戦時中には、連合国の戦争捕虜、さらには、中国や朝鮮半島から強制連行された方々が強制労働に従事させられて命を落とすケースが少なからずございました。今回、時間の関係により、廃線後にサイクリングコースとして利用されている別子鉱山鉄道跡に途中から入って南下し、愛媛県新居浜市にある別子銅山中国人殉難者慰霊之碑を久々に再訪してみました。 途中、立ち寄った金子山福寿谷古戦場跡は、羽柴秀吉の四国攻めにより、毛利小早川隆景軍が、長宗我部元親側に付いた金子氏を滅ぼした1585年の天正の陣に関する史跡であり、戦国武者像は、天正の陣の死者を弔う舞いに関わる武者の像です。天正の陣では、新居浜・西条一帯の多くの神社仏閣が焼き討ちに遭い、今回、門前を通り過ぎた慈眼寺も従来は金子山の北側にあったものが、天正の陣で焼き払われ、戦闘後も生き残った金子対馬守元春が仏門に入って、長年の修行を経て、金子山城の館跡に再建したものだと言われています。 別子銅山中国人殉難者慰霊之碑が現在立地する瑞応寺も天正の陣で焼き払われ、後に再建されたものだと言われています。瑞応寺の入口の手前側には、地元の戦没者を祭った忠魂碑がありました。別子銅山中国人慰霊之碑は、瑞応寺境内の東端にあり、地図上では、山根西自治会集会所の近くに位置します。そこから北側を眺めれば、瀬戸内海燧灘に浮かぶ魚島、さらには対岸の広島県福山市等を見ることができます。到着した頃には、すでに薄暗くなりつつあり、写真にはそれほどはっきりとは映っていませんが、碑の落款は「住友金属鉱山株式会社別子鉱業所」と記されています。碑は当初1954年に山中にある別子銅山東平地区に建立されましたが、東平坑が休止となった1968年に現在の瑞応寺境内に移設されました。ちなみに、朝鮮人慰霊碑と墓石は、それよりさらに山中に入った別子山にあります。今後、機会があれば、訪れてみたいと思います。 https://youtu.be/yGS3M-hgS4E?si=deOfuYYPuZRMDnx5 #別子銅山 #日本 #四国 #愛媛 #新居浜 #中国人 #慰霊碑 #強制連行 #強制労働 #日中友好 #中國勞工 #紀念碑 #四國 #新居濱 #新居滨 自1691年至1973年期間開採的別子銅山,是日本三大銅礦山之一。二戰期間,盟軍戰俘以及從中國和朝鮮半島被強擄到日本國內的勞工因被強迫從事勞動而喪生的情況屢見不鮮。由於時間關係,我這次中途進入廢線後被用於自行車道的原別子礦山鐵路,沿著該路線往南下,時隔多年再次探訪了位於四國島愛媛縣新居濱市的別子銅山中國殉難勞工慰靈碑。 途中,路過了金子山福壽谷古戰場遺址,這是與1585年天正戰役有關的歷史遺址,毛利小早川隆景的軍隊受豐臣羽柴秀吉之命發動四國島平定戰,其中戰鬥最激烈的天正戰役之時,消滅了站在長宗我部元親一方的金子氏。戰國武者像也是與為天正戰役期間戰死者追悼的舞蹈有關的武士人像。其實,天正戰役期間,新居濱和西條一帶的許多神社寺廟都被燒毀,據傳這次路過門口的慈眼寺也是在天正戰役期間被燒毀,原址在金子山北側,經過戰鬥倖存下來的金子對馬守元春後來剃髮出家,修行多年之後,重建於原金子山城城堡。 據傳別子銅山中國殉難勞工慰靈碑所在的瑞應寺也是在天正戰役期間被燒毀,後來被重建的。在瑞應寺的入口的前面,有一座紀念當地戰死者的忠魂碑。別子銅山中國殉難勞工慰靈碑位於瑞應寺內的東端,地圖上的位置在山根西自治會集會所附近。從那裡向北眺望,可以看到漂浮在瀨戶內海燧灘中的魚島,以及對岸的廣島縣福山市等。到達慰靈碑的時候,天色已經有點變黑了,雖然相片上有些看不清楚,但慰靈碑上所刻的落款為「住友金屬鑛山株式會社別子鑛業所」。該慰靈碑最初於1954年在山中的別子銅山東平地區建立,但在1968年,由於東平礦坑被關閉,被遷移至瑞應寺內的現址。順便說一下,朝鮮人慰靈碑和墓碑位於山中更深處的別子山。將來有機會,我也想去那裡看看。 https://youtu.be/yGS3M-hgS4E?si=deOfuYYPuZRMDnx5
別子銅山中国人殉難者慰霊之碑/別子銅山中國殉難勞工慰靈碑 1691年から1973年まで採掘された別子銅山は、日本三大銅山の一つであり、戦時中には、連合国の戦争捕虜、さらには、中国や朝鮮半島から強制連行された方々が強制労働に従事させられて命を落とすケースが少なからずございました。今回、時間の関係により、廃線後にサイクリングコースとして利用されている別子鉱山鉄道跡に途中から入って南下し、愛媛県新居浜市にある別子銅山中国人殉難者慰霊之碑を久々に再訪してみました。 途中、立ち寄った金子山福寿谷古戦場跡は、羽柴秀吉の四国攻めにより、毛利小早川隆景軍が、長宗我部元親側に付いた金子氏を滅ぼした1585年の天正の陣に関する史跡であり、戦国武者像は、天正の陣の死者を弔う舞いに関わる武者の像です。天正の陣では、新居浜・西条一帯の多くの神社仏閣が焼き討ちに遭い、今回、門前を通り過ぎた慈眼寺も従来は金子山の北側にあったものが、天正の陣で焼き払われ、戦闘後も生き残った金子対馬守元春が仏門に入って、長年の修行を経て、金子山城の館跡に再建したものだと言われています。 別子銅山中国人殉難者慰霊之碑が現在立地する瑞応寺も天正の陣で焼き払われ、後に再建されたものだと言われています。瑞応寺の入口の手前側には、地元の戦没者を祭った忠魂碑がありました。別子銅山中国人慰霊之碑は、瑞応寺境内の東端にあり、地図上では、山根西自治会集会所の近くに位置します。そこから北側を眺めれば、瀬戸内海燧灘に浮かぶ魚島、さらには対岸の広島県福山市等を見ることができます。到着した頃には、すでに薄暗くなりつつあり、写真にはそれほどはっきりとは映っていませんが、碑の落款は「住友金属鉱山株式会社別子鉱業所」と記されています。碑は当初1954年に山中にある別子銅山東平地区に建立されましたが、東平坑が休止となった1968年に現在の瑞応寺境内に移設されました。ちなみに、朝鮮人慰霊碑と墓石は、それよりさらに山中に入った別子山にあります。今後、機会があれば、訪れてみたいと思います。 https://youtu.be/yGS3M-hgS4E?si=deOfuYYPuZRMDnx5 #別子銅山 #日本 #四国 #愛媛 #新居浜 #中国人 #慰霊碑 #強制連行 #強制労働 #日中友好 #中國勞工 #紀念碑 #四國 #新居濱 #新居滨 自1691年至1973年期間開採的別子銅山,是日本三大銅礦山之一。二戰期間,盟軍戰俘以及從中國和朝鮮半島被強擄到日本國內的勞工因被強迫從事勞動而喪生的情況屢見不鮮。由於時間關係,我這次中途進入廢線後被用於自行車道的原別子礦山鐵路,沿著該路線往南下,時隔多年再次探訪了位於四國島愛媛縣新居濱市的別子銅山中國殉難勞工慰靈碑。 途中,路過了金子山福壽谷古戰場遺址,這是與1585年天正戰役有關的歷史遺址,毛利小早川隆景的軍隊受豐臣羽柴秀吉之命發動四國島平定戰,其中戰鬥最激烈的天正戰役之時,消滅了站在長宗我部元親一方的金子氏。戰國武者像也是與為天正戰役期間戰死者追悼的舞蹈有關的武士人像。其實,天正戰役期間,新居濱和西條一帶的許多神社寺廟都被燒毀,據傳這次路過門口的慈眼寺也是在天正戰役期間被燒毀,原址在金子山北側,經過戰鬥倖存下來的金子對馬守元春後來剃髮出家,修行多年之後,重建於原金子山城城堡。 據傳別子銅山中國殉難勞工慰靈碑所在的瑞應寺也是在天正戰役期間被燒毀,後來被重建的。在瑞應寺的入口的前面,有一座紀念當地戰死者的忠魂碑。別子銅山中國殉難勞工慰靈碑位於瑞應寺內的東端,地圖上的位置在山根西自治會集會所附近。從那裡向北眺望,可以看到漂浮在瀨戶內海燧灘中的魚島,以及對岸的廣島縣福山市等。到達慰靈碑的時候,天色已經有點變黑了,雖然相片上有些看不清楚,但慰靈碑上所刻的落款為「住友金屬鑛山株式會社別子鑛業所」。該慰靈碑最初於1954年在山中的別子銅山東平地區建立,但在1968年,由於東平礦坑被關閉,被遷移至瑞應寺內的現址。順便說一下,朝鮮人慰靈碑和墓碑位於山中更深處的別子山。將來有機會,我也想去那裡看看。 https://youtu.be/yGS3M-hgS4E?si=deOfuYYPuZRMDnx5
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·2024-7-29
渡緬記者長井健司氏の墓/赴緬記者長井健司先生墓 ミャンマーの民主化運動と言えば、1988年の8888民主化運動が有名ですが、2007年のサフラン革命においては、愛媛県今治市出身の長井記者がヤンゴンで取材中に軍の兵士によって射殺され、その後、長い年月を経て、カメラが遺族の手元に返還されたというニュースは記憶になお新しいものがあります。2024年1月、約7年ぶりとなった帰省時に、同じ愛媛県東予地方出身である長井記者の墓を訪ねてみました。 当日は晴天であり、空気は瀬戸内海の対岸までよく見渡せるほど澄んでいました。先に、四国八十八箇所霊場第五十四番札所延命寺を訪れ、市営墓地への道順を教えていただきました。折角ですので、寺の境内を廻ってみると、中国大陸系百済帰化渡来人の子孫であり、飛鳥時代から奈良時代にかけて、社会事業等の分野において功績のあった行基菩薩の報恩供養塔がありました。市営墓地にやって来ると、敷地面積が相当に広く、現場で何人かに尋ねてみたところ、皆さん、あまりご存じないようで、それでも最終的に辿り着くことができました。 長井記者が亡くなられた2007年9月と言えば、私は一時期、歯を磨くにも寝転がる必要があるほどに体調を崩していた大手化学プラントを辞め、今治市の対岸に位置する広島県福山市に転居してまだ間もない頃でした。当時は、体調不良により、考える余裕はあまりありませんでしたが、福山を選んだ理由については、やはり、日本の平和運動の総本山である広島になおこだわりがあったことが一つとして挙げられると思います。翌年2008年5月、久々に船に乗って旅行に訪れた上海で、滞在予定が残り二日となったときに、時間が余ったので、人材会社を覗いてみると、急に仕事が決まり、帰り着いた神戸港にて四川大地震の一報に接し、ビザを取得して、翌6月から上海で働き始めました。暫くしてから、週末に現地の会計学校に通い始め、その後、改革開放の初期から現在も存続している上海魯迅公園日本語コーナーに参加するようになると、当然ながら、2007年長井記者の一件や地震発生から一年後に訪れた四川省阿壩州汶川県の復興状況、2009年コーカン八八事件、そして、国務院温家宝総理を筆頭に政治体制改革が叫ばれていたという時代背景もあり、限定的であるとはいえ、輝いて見えた隣国ミャンマーの民主化進展状況等に言及したこともございました。 思い返せば、上海に渡る少し前の2008年当時、福山にて映画「ALWAYS 三丁目の夕日」を鑑賞する機会があり、中国社会はまさにあの時代にあると言及したこともありましたが、急激な変化を特徴とする中国社会は、高度経済成長期が過ぎ去り、すでに転換点に達したようです。2022年の上海ロックダウン明け以降、弊社も基本的にゼロ収入に近い状態になっています。2023年10月の1027作戦以降、ミャンマー情勢もまた転換点に達したようです。いずれにせよ、市民の暮らしはなかなか大変ですね。隣国ミャンマーに平和が一刻も早く訪れることを願っています。 最後に付け加えると、実は、中国でも有名な歌手で僧侶の薬師寺寛邦氏ゆかりの海禅寺が市営墓地の近くにあるようですが、今回、運転を担当した母の機嫌が途中からまたよくなくて、訪れることができず、残念でした。特に用事がなければ、やはり帰省しない方がよいようです。 #長井健司 #ミャンマー #ビルマ #民主化 #愛媛 #今治 #延命寺 #行基 #緬甸 #爱媛 #长井健司 #缅甸 #Myanmar #미얀마 #KenjiNagai 說起緬甸民主運動,最有名的是1988年「8888民主運動」,而在2007年的番紅花革命期間,出生於日本四國島愛媛縣東予地區今治市的長井先生在緬甸仰光拍攝街頭抗爭行動時被緬軍士兵槍殺,多年後,長井先生曾經使用的攝影機返還給家人這一新聞報導迄今仍記憶猶新。時隔約7年,臨時返回家鄉的2024年1月,同樣出生於日本四國島愛媛縣東予地區的我探訪了長井先生的墓。 當天,天氣晴朗,空氣相當清澈,可以眺望到瀨戶內海的對岸。首先,我訪問了日本四國島「88所寺院」中的第54所寺院延命寺,並從寺務工作人員那裡得到了前往市立墓園的路線。順便我轉了一圈,發現在寺院裡有一座供奉行基菩薩的報恩供養塔。行基菩薩是中國大陸系朝鮮百濟國歸化渡來人的後裔,從日本古代飛鳥時代至奈良時代在社會事業等領域取得了巨大的成就。到了市立墓園,就發現墓園的面積很大,詢問幾位現場人員,結果他們也不太了解,還好我最終還是找到了長井先生的墓。 說起長井先生遇害的2007年9月,當時是我離開一間大型化工廠,搬到了今治市的對岸廣島縣福山市後不久的時候。當時,我的身體狀況不佳,有時候連刷牙都得躺著,就因為如此,我沒有太多思考為何選擇福山這座城市的餘地,但我覺得我選擇福山的原因之一是因為我還是對日本和平運動的總部廣島仍然抱有一些希望。次年2008年5月,我時隔多年坐船回到上海旅遊,剩下最後兩天的時候,因為有空,去探訪了一間人力資源公司,之後馬上被安排面試和工作交接,然後抵達神戶港時,我接到了四川汶川地震的消息,次月拿到簽證後,開始在上海工作。過了一段時間後,每週末開始到會計學校上學,後來也開始參加自改革開放初期以來存續至今的上海魯迅公園日語角活動。當然,在時任國務院總理……
渡緬記者長井健司氏の墓/赴緬記者長井健司先生墓 ミャンマーの民主化運動と言えば、1988年の8888民主化運動が有名ですが、2007年のサフラン革命においては、愛媛県今治市出身の長井記者がヤンゴンで取材中に軍の兵士によって射殺され、その後、長い年月を経て、カメラが遺族の手元に返還されたというニュースは記憶になお新しいものがあります。2024年1月、約7年ぶりとなった帰省時に、同じ愛媛県東予地方出身である長井記者の墓を訪ねてみました。 当日は晴天であり、空気は瀬戸内海の対岸までよく見渡せるほど澄んでいました。先に、四国八十八箇所霊場第五十四番札所延命寺を訪れ、市営墓地への道順を教えていただきました。折角ですので、寺の境内を廻ってみると、中国大陸系百済帰化渡来人の子孫であり、飛鳥時代から奈良時代にかけて、社会事業等の分野において功績のあった行基菩薩の報恩供養塔がありました。市営墓地にやって来ると、敷地面積が相当に広く、現場で何人かに尋ねてみたところ、皆さん、あまりご存じないようで、それでも最終的に辿り着くことができました。 長井記者が亡くなられた2007年9月と言えば、私は一時期、歯を磨くにも寝転がる必要があるほどに体調を崩していた大手化学プラントを辞め、今治市の対岸に位置する広島県福山市に転居してまだ間もない頃でした。当時は、体調不良により、考える余裕はあまりありませんでしたが、福山を選んだ理由については、やはり、日本の平和運動の総本山である広島になおこだわりがあったことが一つとして挙げられると思います。翌年2008年5月、久々に船に乗って旅行に訪れた上海で、滞在予定が残り二日となったときに、時間が余ったので、人材会社を覗いてみると、急に仕事が決まり、帰り着いた神戸港にて四川大地震の一報に接し、ビザを取得して、翌6月から上海で働き始めました。暫くしてから、週末に現地の会計学校に通い始め、その後、改革開放の初期から現在も存続している上海魯迅公園日本語コーナーに参加するようになると、当然ながら、2007年長井記者の一件や地震発生から一年後に訪れた四川省阿壩州汶川県の復興状況、2009年コーカン八八事件、そして、国務院温家宝総理を筆頭に政治体制改革が叫ばれていたという時代背景もあり、限定的であるとはいえ、輝いて見えた隣国ミャンマーの民主化進展状況等に言及したこともございました。 思い返せば、上海に渡る少し前の2008年当時、福山にて映画「ALWAYS 三丁目の夕日」を鑑賞する機会があり、中国社会はまさにあの時代にあると言及したこともありましたが、急激な変化を特徴とする中国社会は、高度経済成長期が過ぎ去り、すでに転換点に達したようです。2022年の上海ロックダウン明け以降、弊社も基本的にゼロ収入に近い状態になっています。2023年10月の1027作戦以降、ミャンマー情勢もまた転換点に達したようです。いずれにせよ、市民の暮らしはなかなか大変ですね。隣国ミャンマーに平和が一刻も早く訪れることを願っています。 最後に付け加えると、実は、中国でも有名な歌手で僧侶の薬師寺寛邦氏ゆかりの海禅寺が市営墓地の近くにあるようですが、今回、運転を担当した母の機嫌が途中からまたよくなくて、訪れることができず、残念でした。特に用事がなければ、やはり帰省しない方がよいようです。 #長井健司 #ミャンマー #ビルマ #民主化 #愛媛 #今治 #延命寺 #行基 #緬甸 #爱媛 #长井健司 #缅甸 #Myanmar #미얀마 #KenjiNagai 說起緬甸民主運動,最有名的是1988年「8888民主運動」,而在2007年的番紅花革命期間,出生於日本四國島愛媛縣東予地區今治市的長井先生在緬甸仰光拍攝街頭抗爭行動時被緬軍士兵槍殺,多年後,長井先生曾經使用的攝影機返還給家人這一新聞報導迄今仍記憶猶新。時隔約7年,臨時返回家鄉的2024年1月,同樣出生於日本四國島愛媛縣東予地區的我探訪了長井先生的墓。 當天,天氣晴朗,空氣相當清澈,可以眺望到瀨戶內海的對岸。首先,我訪問了日本四國島「88所寺院」中的第54所寺院延命寺,並從寺務工作人員那裡得到了前往市立墓園的路線。順便我轉了一圈,發現在寺院裡有一座供奉行基菩薩的報恩供養塔。行基菩薩是中國大陸系朝鮮百濟國歸化渡來人的後裔,從日本古代飛鳥時代至奈良時代在社會事業等領域取得了巨大的成就。到了市立墓園,就發現墓園的面積很大,詢問幾位現場人員,結果他們也不太了解,還好我最終還是找到了長井先生的墓。 說起長井先生遇害的2007年9月,當時是我離開一間大型化工廠,搬到了今治市的對岸廣島縣福山市後不久的時候。當時,我的身體狀況不佳,有時候連刷牙都得躺著,就因為如此,我沒有太多思考為何選擇福山這座城市的餘地,但我覺得我選擇福山的原因之一是因為我還是對日本和平運動的總部廣島仍然抱有一些希望。次年2008年5月,我時隔多年坐船回到上海旅遊,剩下最後兩天的時候,因為有空,去探訪了一間人力資源公司,之後馬上被安排面試和工作交接,然後抵達神戶港時,我接到了四川汶川地震的消息,次月拿到簽證後,開始在上海工作。過了一段時間後,每週末開始到會計學校上學,後來也開始參加自改革開放初期以來存續至今的上海魯迅公園日語角活動。當然,在時任國務院總理……
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·2024-7-20
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